本日は2019年6月7日付のHakai Magazineから、"Otter Bones Provide a Clue to an Enduring Conservation Mystery"をお届けします。1970年代、アリューシャン列島のアムチトカ島からアラスカ州、ワシントン州、オレゴン州、およびカナダのブリティッシュコトンビア州へラッコが再導入されましたが、オレゴン州のみ唯一定着することはありませんでした。前回の試みから50年、オレゴン州の生物学者や保全活動家は再びラッコの再導入について考えています。導入の経緯については、記事「アムチトカ島のラッコたち」をご覧ください。
再導入に失敗してから50年、地元の非営利団体は再度試したいと考えているーしかし、まずは時間を遡ってみることにする
ボブ・ベイリーは、オレゴン州南部の海岸の潮溜まりや河口を歩き回って育った。ヘイリーがこの地域を愛したのは、その豊かさや野性味があるからだ―岩だらけの入り江、風でゆがんだ杉、ほとんど絶え間なく降る雨。しかしベイリーは、オレゴン州の沿岸環境が手付かずであるという幻想を抱いたことはなかった。オレゴン沿岸環境には重要な構成要素、ラッコが足りないことを常に知っていた。
「ラッコがいる環境がどのようなものであっただろうかと考えます。もしラッコがいなくなっていなかったらどうだっただろう」とベイリーは言う。ラッコはかつて、日本からメキシコのバハに至る北太平洋全域に生息していた。しかし、毛皮の取引が急増したため、厚手で柔らか毛皮の需要が高まり、20世紀には絶滅寸前となった。ベイリーが率いる環境保護活動家や生物学者のグループである非営利団体Elakha Allianceは、ラッコをオレゴン州に再導入する第一歩を踏み出した。
エラカ・アライアンスが再導入を試みる最初の団体にはならないだろう。しかし前進する前に、この団体のメンバーは、保全の謎に対する答えを見つけたいと考えている。1970年代にオレゴンに持ち込まれた93匹のラッコはなぜ消えてしまったのか。
1970年から1971年にかけて、アラスカ州魚類狩猟局は、アラスカのアリューシャン列島で100頭近くのラッコを捕獲し、太平洋北東部の海岸に運び、オレゴン州南部の海岸沖にリリースした。このプロジェクトは野心的で実験的なものだったが、生物学者も地元の人々も、この可愛らしくカリスマ性のある動物が、状態の悪化した海洋生態系を回復し、地元の漁業を繁栄させてくれることを期待していた。
オレゴン州魚類野生生物局で回復責任者を務めるミシェル・ズワルチェスによると、最初の数年間は、オレゴン州のラッコは順調に育ったようだったという。1970年から1975年の間に沿岸部に旅行していたら、ラッコの群れが海岸の近くで波に揺れてたり、母親が子どもと一緒に泳いだりするのを見ることができたかもしれない。
しかし予想外に、オレゴンで急増していたラッコの個体数は急速に減少した。1981年までには、すべていなくなってしまった。
「実に奇妙なことです」とズワルチェスは言う。最初の数年間の回復状況を見ると、すべての兆候は最終的にラッコの再導入が成功すると示していたとズワルチェスは付け加えた。
最近まで、ラッコがいなくなってしまったことに対する最も良い説明は、彼らが泳いで家に戻ろうとしたということだった。ラッコは帰巣本能が強く、慣れない海ではすぐに方向感覚を失うとズワルチェスは言う。しかし、この仮説には穴がある。なぜラッコは出発する前に何年もとどまっていたのいたのだろうか。「全く意味がないのです」とズワルチェスは言う。
オレゴン大学の考古学の博士候補であるハンナ・ウェルマンは、もっと説得力のある仮説を見つけたようだ。オレゴンに導入されたラッコは、おそらく遺伝的に新しい環境に適応しなかったのだろう。ウェルマンは、古代のラッコの骨格を使って時代をさかのぼる。毛皮交易前のラッコの個体群の遺伝的・物理的特徴をマッピングすることで、ウェルマンの研究は、自然保護活動家がより成功の可能性の高い再導入計画を立てるのに役立つだろう。
「私の研究が特効薬だとは言えませんが」とウェルマンは言う。「でも、これはパズルのピースの一つかもしれません」
ウェルマンは以前の研究で、アラスカとオレゴンのラッコの歯の大きさを比較した。現在、ウェルマンはラッコの遺伝子構造の違いに没頭している。
アラスカとオレゴンのラッコの個体群は同じ種だ。しかしこれまでのところ、ウェルマンは両者の間に明らかな身体的な違いがあることを発見している。たとえば、アラスカのラッコはオレゴンやカリフォルニアのものよりも歯がかなり大きいが、これはアラスカとオレゴンのラッコは環境に対して適応の仕方が異なっていることを示唆している。この違いが最初の再導入時に問題を引き起こした可能性がある、とウェルマンは説明する。
1970年の再導入の失敗を記録した元生物学者のロナルド・ジェイムソンは、ウェルマンの考えに同意している。
「アリューシャン列島に比べ、ここからはそれほど遠くには行けません」とジェイムソンは言う。「カリフォルニアからラッコを連れてくることができたらもっと良かったかもしれません」カリフォルニアのラッコは遺伝学的にオレゴン州の個体群により近いと思う、とジェイムソンは付け加える。しかし、オレゴンへの再導入時、カリフォルニアはラッコを1頭も失う余裕がなかった。カリフォルニアの地域のラッコたちは毛皮交易を辛うじて生き延びたものの、まだ回復に苦しんでいたからだ。
「ラッコの亜種はすべて、それぞれが生息する特定の環境に少しずつ適応しているのです」とジェイムソンは言う。
おそらく自然保護活動家らは、ウェルマン教授の研究を鍵として、将来の再導入の際はにカリフォルニア州からラッコを連れてくることになるだろう。今日、カリフォルニアのラッコの個体数は回復にかなり近づいており、生物学者の中には、現在の個体群が将来の再導入を実行できるものであると考えている者もいる。しかし、エラカ・アライアンスはまだ、ラッコをどこから調達するかを決めるにはほど遠い。ベイリーは、再導入までには少なくとも10年はかかるだろうと言う。この非営利団体は、まだ再導入計画の初期段階にあり、地元の支援を得て、利害関係者とコミュニケーションをとりつつ、理想的な生息地を探している。
前回の失敗の謎を解くことも、計画プロセスにおいて重要な一部分だ。
「これは、何が起こったのかをより理解するための課題の1つです」とベイリーは言う。そうであっても、ある程度予測不可能なことがあることは認識している。
「皆さんにお伝えしたいのは」とベイリーは言う。「最後に決めるのはいつも、母なる自然の力だということです」
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