【記事】ラッコレスキュー:原油流出事故の影響 9 | Sea Otter Rescue : The Aftermath of an Oil Spill part 9

1989年3月24日、1艘の巨大タンカー、エクソン・バルディーズ号がアラスカ州プリンスウィリアム湾のブライ岩礁にぶつかり座礁し、当時米国史上最悪の原油流出事故となりました。
バルディーズとスワードにラッコレスキューセンターが作られ、多くのスタッフとボランティアが、油で汚染されたラッコを懸命に助けます。この洗浄・リハビリを行ったポイントデファイアンス動物園水族館のローランド・スミス氏の本、Sea Otter Rescueの翻訳をお届けします。本の写真は掲載できませんので、Archive.org(https://archive.org/details/seaotterrescueaf00smit/page/n71)でご覧ください。

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原油流出事故が起きてから4か月後の8月までには、油で汚染されたラッコが発見されることはほとんどなくなり、ラッコの回収船はプリンス・ウィリアム湾から呼び戻された。

 

流出事故の4か月間、最適なラッコの放流方法について議論が重ねられた。ほとんどの動物同様、ラッコもまた非常に強い「帰巣本能」を持っている。カリフォルニアでは、新しい場所へ移されたラッコが200マイル(約320km)も離れた元住んでいた場所へ泳いで戻ろうとしたことが知られている。こうした帰巣本能がどのように働くのかは分かっていないが、鮭が数年を海で過ごした後生まれた川を見つけることができるのと同じように、「ふるさとの海」がラッコが感知できる独特の化学信号を発しているのではないかという仮説がある。ラッコをレスキューセンターからなじみのない場所へ直接放流すると、ラッコはその場所を離れて元いた場所へ戻ろうとする可能性がある。そのふるさとの海へ戻る途中で、再び油に汚染されてしまう恐れがあった。

 

議論されていた別の方法は、きれいな湾にレスキューセンターから来たラッコのグループを収容する大きなフローティングペンを設置するということだった。この囲いの中でラッコが縄張りを作り、囲いを外してもその場にとどまってくれればという期待があった。

 

しかし、この計画にも問題があった。この計画をうまく進めるためには、ケア担当者がその囲いに滞在してラッコにエサをやらなければならなかった。フローティングペンの中ではエサを見つけることができないからだ。も一つの問題は、そのような辺鄙な場所で新鮮なエサを十分に入手することだった。そのような場所で食糧を得ることは費用がかかるだけでなく、囲いにラッコが20頭いれば1日に与えるエサは300パウンド(約135kg)にもなった。こうしたエサを腐らせずに保存する場所がなかった。また天候が悪ければ、飛行機が飛べない時にはエサを運ぶことができない。

 

議論になったもう一つの代替案は、プリンス・ウィリアム湾の油が全て除去されるまで、ラッコを全てレスキューセンターとリトルジャコロフ湾に収容しておくというものだった。これもまた難しい問題があった。ラッコレスキューセンターにラッコを置いておくのはお金がかかるだけでなく、健康になったラッコは、自由になってその健康状態を維持できる。ラッコレスキューセンターの状態はいいとしても、永続的なラッコの健康を維持することを考えた場合、理想的とはいえなかった。

 

最終的に、健康なラッコを数頭だして無線装置をつけ放流してみることになった。こうすることで、生物学者らはラッコを追跡することができた。実験的な放流から得られた情報をもとに、放流を待つ他のラッコたちをどのように進めていくかを決めることができた。

 

無線装置は野生生物の動きを研究するのに長年使用され成功を収めてきた。一般的に動物には首に首輪型無線装置を装着する。その首輪が動物をモニターする生物学者が持っている受信装置に信号を発信する。信号の方角とその強さを得ることにより、生物学者は地図上にその場所をマークしどこに動物がいるのか知ることができる。

 

しかしラッコの場合は首にぴったりの首輪がないため、埋め込み型の無線装置を使うことにした。この無線装置は首輪型の無線装置と同じような働きをするが、首に取り付けるのではなく手術で腹部に埋め込まれる。21頭のラッコに無線が埋め込まれ、プリンスウィリアム湾の東側の油がない場所に放流された。

 

生物学者は船と飛行機を使ってラッコの動きを3週間モニターした。無線装置を埋め込まれたラッコたちは放流された場所周辺にとどまっていたと生物学者が断定し、皆が喜んだ。健康になったラッコを野生に返すことができるということだった。

 

ラッコの中には、こうして無事放流されることが奇跡のようだったものもいた。そうしたラッコの中には、数か月前ラッコレスキューセンターに連れ込まれた時には死んだと思われていたものもいた。そのラッコがセンターに到着した時、獣医はそのラッコの心音を確認することができなかったが、心音を聞き続けた。最終的には非常に弱い1分に4泊という心音を確認することができた(通常ラッコの心拍数は1分当たり80)。獣医らはこのラッコに4時間治療を行い、命を取り留めることができた。

 

放流されたラッコにはそれぞれの物語がある。そしてその物語は続く。プリンスウィリアム湾のラッコを助けるために懸命に献身的に働く人々がいるからだ。

 

流出した原油の広がり。2週間後には150マイル(240km)、40日後には350マイル(560km)に達している
流出した原油の広がり。2週間後には150マイル(240km)、40日後には350マイル(560km)に達している

原油流出の影響

エクソンバルディーズ号の原油流出事故が収束するまでに、油は550マイル(約880km)も流され、何百もの離れた湾や入り江に入り込み、800マイル(1,280km)もの海岸線を汚染した。どれだけの数の動物が死んだのか、誰も分からないが、ラッコが1,000頭以上、鳥(ハゲワシ100頭以上を含む)が32,000羽、原油流出が原因で死んだと推定されている。

 

ラッコレスキューセンターへ運ばれてきた342頭のうち、75パーセント近くは助かった。

 

流出した原油の洗浄に10億ドル(約1000億円)が使われたが、ほとんどの洗浄手段は効果がなかった。プリンスウィリアム湾を原油流出前の状態に戻す唯一の手段は、時間だ。そして、原油流出によるダメージを止める唯一の方法は、そもそもそうした事故が起こらないように防止するということだ。

Roland Smith
Sea Otter Rescue - The Aftermath of an Oil Spill
Published in  1999