【記事】ラッコの楽園:ボランティアが変えるラッコ研究 (3) | OtterEden :How two volunteers changed our understanding of sea otters (3)

 本日から2016年3月31日付のMonterey County Nowから、"Otter Eden : How two volunteers changed our understanding of sea otters."の3回目です。
ボランティアによる「市民の科学」が、研究を次のステージへと導きます。

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ラッコの回復は旧敵により滞っている。サメだ。過去10年以上、北はピジョン岬から南はサンタバーバラ近郊のガビオタ・ステイト・ビーチに広がる現在のラッコの生息域の端近くで、ホホジロザメによるラッコへの噛みつきが増加してきている。

 

そのためラッコは生息域を広げることができていない。歴史的にらっこはカリフォルニア州沿岸全体に生息していたが、科学者たちはどうやって現在のラッコの生息域を広げていけばいいか問いかけている。

 

おそらくベストアンサーは、ワッソンとカリフォルニア大学サンタクルーズ校の科学者ピート・ライモンディの下で研究を行っている大学院生、ブレント・ヒューズがエルクホーン湿地帯で見つけたものだろう。

 

ヒューズは、カリフォルニア州内の他の湿地帯に比べ、なぜエルクホーン湿地帯ではアマモ(水草の一種で生態系にとって不可欠なもの)がより健全なのかを明らかにしようとしていた。実際、エルクホーン湿地帯の水は農場からの排水により富栄養化しているため、水草は不健全で藻類により窒息死しているはずだった。

 

イービーと他の人々の手助けにより、ヒューズは2012年に実験を開始した。その実験による発見が、2013年の論文へと繋がり、それによりヒューズの画期的な仮説を実証することになった。その仮説とは、ラッコがカニを食べ、カニが減るとカニに食べられていたウミウシ類が増え、藻類を食べるウミウシ類が増えると、アマモから光を奪っていた藻類が減る、というものだ。

これは「栄養カスケード」として知られる食物網現象で、その結果、より健全でバランスのおれた生態系ができあがったのだ。後で解釈してみると、全く納得がいく。歴史的には、ラッコは西海岸の河口域では頂点捕食者だったのだ。

 

アメリカ魚類野生生物局のカリフォルニアラッコ回復・海洋保全コーディネーターのリリアン・カーズウェルには、ヒューズの発見がどれほど重要かすぐに分かった。特に、他の河口域のアマモが悲惨な状況だからだ。

 

「仕方のないことですが、『他の河口域にも、もしラッコがいたら…』と考えてしまいます」とカーズウェルは言う。

 

「そうすると、もちろん、最大の河口域についても考えてしまうでしょう」とサンフランシスコ湾についてほのめかした。

 

もしモントレーベイ水族館が保護したラッコを放流するなど、ラッコをサンフランシスコ湾に戻す努力が行われるとすれば、そうしたプロジェクトはカーズウェルの管轄下になるだろう。しかし今のところ、そのような提案は上がっていないと言う。

 

それにもかかわらず、カーズウェルはそうした案が熱い議論となっていると言う。カーズウェルもまた、イービーやスコールズが影響を与えた現在の研究による発見に対し、注意を払っている一人だ。

 

「河口域においてラッコが回復する可能性があるということは非常にエキサイティングです」とカーズウェルはその研究について話す。「前進すれば、これから起こることに対してよりビジョンが明確になるでしょう」

 

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最近のある週末、モスランディングハーバー。昼前の太陽が水面で揺らめく頃、イービーは保護区の研究用のボートに乗り、ハイウェイ1号線をくぐって湿地帯の大きな水路を上流へ向かった。
鵜の群れが近くを通り過ぎる。頭だけを水の上に出し、イワシをとっている。

 

ボートがシール・ベンド(Seal Bend)と呼ばれるモーン・グロー酪農場北にある湿地帯の水路がカーブしている場所へ近づくと、ラッコが視界に入ってきた。中には赤ちゃんを連れた母親ラッコの姿も混じる。

 

「ここには赤ちゃんがたくさんいてすごいね、ロバート」とイービーが言う。

 

エルクホーン湿地帯にはおよそ100頭のラッコが生息しており、その数は近年安定しているが、ラッコはカリフォルニアでも最も豊かな多様性のある生態系の中のほんの一部分にすぎない。

 

もしかしたら違う事態になっていたかもしれない。1971年、モスランディングの天然ガス火力発電所を所有していたPG&E社は(現在その発電所はダイエナジー社が所有)、その発電所を原子力発電所に変えることを検討していると発表した。その計画は実現はしなかったものの、1973年、PG&E社は天然ガスの不足を理由に、発電所を石油による火力発電に変更し、沖のタンカーからパイプで石油を供給する許可を州に得た。

 

1979年、PG&E社はより大きなタンカーをモスランディング沖に係留する承認を連邦政府に対して求めたが、発電所に石油を供給していたアルコ・エンデバー号はモントレー湾に3,400ガロンの原油を流出させてしまった。

 

最終的にその発電所は天然ガス発電に戻り、より先進的な考えが勝利を収めることになった。1980年代始め、湿地帯は連邦研究保護区に制定され、1982年にエルクホーン湿地帯基金が設立された。

 

今日、エルクホーン湿地帯は正当な理由があってよく「生きた実験室」と呼ばれる。生物が豊かで将来発見の可能性を秘めた、アクセス可能な生態系だからだ。

 

だから、イービーやスコールズの仕事がより重要になる。

 

「二人はこの場所に非常の多くの時間を割いてきました」と保護区のマネージャー、デイブ・フェリスは言う。「彼らはラッコの生態と歴史の調査に影響を及ぼしてきたのです。彼らの仕事によって、ラッコについての考え方が本当に変わりました」

 

基金のエグゼクティブディレクター、マーク・シルバーステインも同じ考えだ。

 

「二人は、『市民の科学』と呼ばれるものに関わることでボランティアが科学を次のレベルに導くことができるという、類まれな例でしょう」とシルバーステインは言う。「二人とも、正式なトレーニングを受けたことはないのです」

 

ラッコプロジェクトは今年で終了するが、保護区は2009年からイービーとスコールズが行っているボランティアによる毎週のラッコ観察プログラムを継続する予定だとワッソンは言う。

 

そのプログラムは安心して任せられる。保護区本部に座り、イービーとスコールズはこのボランティアの仕事を辞めるつもりはないと笑う。

 

「私たちはいつもここにいるし、これからもできる限りここにいようと思っています」とスコールズは言う。

 

「そのうち自分たちのためにも車椅子でアクセスできるようにしないとね」イービーが笑って言う。

 

「エルクホーン湿地帯で何が起こっているのか継続的に追跡するためにここにいたいのです。それが目標なのです」とイービーは続ける。「私たちは触媒のようなものです。他の人たちが利用できるよう、私たちが外にでて情報を集めるのです」

 

初めからずっと、それが彼らのやり方だ。今のところ、順調だ。
「ここは特別な場所です」とエルクホーン湿地帯基金のエグゼクティブ・ディレクターのマーク・シルバーステインが言う。「人々が今までにない方法で自然資源にかかわる素晴らしい機会を与えてくれるからです」Nic Coury
「ここは特別な場所です」とエルクホーン湿地帯基金のエグゼクティブ・ディレクターのマーク・シルバーステインが言う。「人々が今までにない方法で自然資源にかかわる素晴らしい機会を与えてくれるからです」Nic Coury

Monterey County Now

Otter Eden : How two volunteers changed our understanding of sea otters.

David Schmalz March 31, 2016