本日は7月18日付けのGlobal and Mailの記事、”The remarkable
comeback of sea otters to the B.C. coast”をご紹介します。
カナダのブリティッシュコロンビア州に生息するラッコの個体数は最近回復が目覚ましいようですが、一方で難しい問題も生じています。
【翻訳者注】先住民の方の名前については正しい発音が不明なため、カタカナ表記が間違っている可能性がありますが、なにとぞご了承ください。
バーブ・ウィルソンは、先住民ヌートカ族(注:カナダ・バンクーバー周辺に住む先住民族)の首長に面会する前の晩、恐ろしい夢を見ました。
ハイダ族(注:カナダ・バンクーバー周辺に住む先住民族)の長老とウィルソンの同僚であるアン・サロモン(サイモン・フレーザー大学の准教授)は、カナダの西海岸におけるラッコの生息地の拡大について、首長たちと話をしたいと申し出ていました。ラッコは、100年近く前に絶滅の危機に追いつめられていましたが、ブリティッシュコロンビア州においてその生息数は劇的な回復を遂げていました。
ラッコの復活は、ある人々から見れば素晴らしいサクセスストーリーではありますが、生態系の劇的な変化の引き金となり、ウニやカニ、貝などを貪り食うラッコたちと先住民の漁師たちとの間に、対立を生じさせる結果となってしまいました。
ウィルソンは、部族のリーダーたちに、この変化を理解し、ラッコが今よりもずっと多くても人々がラッコたちとうまく共存して生きていた頃を振り返ってもらいたいと思っていました。しかし、その重要な話し合いの前の晩、ウィルソンは頭がいっぱいだったためか、バスを運転していたらブレーキが効かなくなって谷底へものすごいスピードで落ちていく夢を見たのです。
もし、ラッコの生息地の拡大にあまり良い顔をしない人々がいるとしたら、それはカナダのバンクーバー島の西海岸に住むヌートカ族の14の部族の人々でしょう。その人々は、貝やカニ・エビなどの収穫に多くを頼っています。その地域でラッコの個体数が増加すると、ラッコがいなければ増えているはずのそうした貝やカニなどをどんどん食べてしまうことになります。
ここで、ウィルソンは首長たちにラッコが復活することのメリットを挙げようとしていました。
「ちょっと!」
ウィルソンは話し合いの朝、自分に言い聞かせていました。
「自分が何に足を突っ込もうとしているか分かってる?あの人たちはラッコが憎たらしくてたまらないのに!」
ラッコは1800年代初頭、毛皮貿易のために過度に捕獲され、1929年までにはアラスカからカリフォルニアにかけてのラッコは実質的に絶滅状態になっていました。
ブリティッシュコロンビア州ではラッコは完全に消滅してしまっていましたが、1969年から72年の間に政府の生物学者たちがバンクーバー島に89頭のラッコを放しました。湾の中で最初にリリースされた地域の北側と南側に広がり、ある地域では年間18%の勢いで個体数が成長し、2008年までには5000頭程度までに達しました。カナダ水産海洋省の調査によると、バンクーバー島北東部とブリティッシュコロンビアの中央沿岸部2か所では、より多くのラッコが見られると期待されています。
ラッコは今でも「非常に懸念されている」種としてリストに上がっていますが、ハイダ・グワイ、ジョージア海峡内や中央沿岸部のある範囲に沿った部分では、まだ生息地が確立していません。
しかし、そうなる日も遠くないようです。個体数は着々と広がっており、ウィルソンととサロモン博士が自分たちで設定した任務は、ラッコたちがより広い地域に帰ってくることができるよう、先住民族たちの協力をとりつけるということでした。ウィルソンたちは一部の地域ではそれが難しいことは承知していました。商業的にも文化的にも先住民たちにとって重要な貝やカニなどを、ラッコが大量に食べてしまうからです。
ウィルソンは最初ヌートカ族の首長に会うのは怖いと思っていましたが、首長たちはウィルソンの話に耳を傾け、頷いて同意しました。
「彼らは話に乗ってきました。それがターニングポイントでした。」とウィルソンは言いました。
ウィルソンによると、彼女は首長たちにこのように言って協力を取り付けたそうです。
「沿岸に住んでいる人々はみな、昔から貝やカニを食べ、ラッコと共存して生きてきました。その状況を取り戻したいのです。人々もラッコたちも、両方とも食べる権利があると思うのです。」
そして1年後、ウィルソンとサロモン博士が提唱し始めたことは、沿岸部に住む先住民たちの評議会の支持を得つつありました。この計画が成功すれば、ブリティッシュコロンビア州沿岸全てににラッコが戻ってこられるかもしれません。ラッコが戻ってくることが重要なのは、それが沿岸の生態系を劇的に変え、太平洋の沿岸近海の生態系を整えるきっかけになるからなのです。
カルバート島のハカイ・ビーチ研究所で行われた最近の会議では、ブリティッシュコロンビアに住む先住民族のリーダーたちとアラスカやカリフォルニアの科学者たちが集まり、ラッコの復帰をどう管理していくかが検討されました。
ジェームズ・クック船長が1778年バンクーバー島のヌートカ湾でラッコの毛皮を入手した当時、30万頭ほどのラッコが北アメリカの西海岸に生息していたと推測されています。ラッコの軟らかく豊かな毛皮はl中国で大流行し、ブリティッシュコロンビア沿岸への毛皮貿易ラッシュを引き起こしました。しかし、貿易船により毎年18000頭が毛皮として獲られてしまい、ラッコは急速に姿を消してしまいました。1830年までには、多くの地域からラッコが消えたのです、と、パークスカナダ(注:カナダの国立公園を管轄する政府組織)の海洋生態学者で「ハイダ・グワイにおけるラッコ」の共著者であるノーム・スローンはその会議上で発言しました。
「ラッコがいなければ、海の生態系は劇的に代わってしまいます。同様に、ラッコが戻ってくることで大きな影響を及ぼします。」とスローン博士は述べました。
「沿岸近海の生態系を変えようとしています。非常に大きな変化です。一方で、人間はラッコと競争することになってしまいます。」
カリフォルニア大学サンタクルーズ校の生態学と進化生物学の教授、ジェームズ・エステスは、ラッコがいなくなればウニが大繁殖すると会議で発言しました。今度はウニがコンブの森を一掃してしまうのです。
エステス博士がアラスカ近郊の島で海に潜った際、ラッコがいるところではコンブが繁殖し生物の多様化が見られましたが、ラッコがいないところでは「ウニによる砂漠化」が見られ、そこでは他の多くの生物も死に絶えていました。
「海面下でこのような状況を目の当りにし、ラッコがいないことがどれほど『ウニによる砂漠化』に関係し、ラッコがいることがどれほど豊かなコンブの森に貢献しているかを知り、このことが頭から離れませんでした。」
「これは、どこでも同様に見られることです。ラッコがいなくなればウニが増殖し、コンブが少なくなります。」
「その影響は広範囲で甚大です。ケルプの森があるところにはより多種多様な魚や海鳥や哺乳類や、鷹までも存在するのです。」
とエステス博士は述べています。
しかし、会議の代表者たちには、ラッコがどれほど論争の的になっているかという話も聞くことになります。ジニー・エッカート(アラスカ大学の海洋生物学者)が言うには、1960年代にラッコがアラスカに再度持ち込まれた際、450頭が放たれました。2012年までには、その数は25,000にまで増えています。「保護という点では、これは注目に値するサクセスストーリーです。一度は絶滅しかけた種が、復活を果たしたのですから。」
しかし、一方で漁業産業に携わる人々を不安に陥れることにもなりました。「ラッコは嫌われていると思います。実際、撃たれることもあるようです。」とエッカート博士は述べています。
バンクーバー島の先住民族ハイダ族で代々捕鯨長を務めるフプィンユクは、ラッコが生息域を広げるに伴って貝・カニ類を獲る人々との軋轢も増す恐れがあると言いました。でも毛皮貿易がラッコを獲り過ぎるまでは、先住民の人々はラッコたちと調和を保って生きていた、だからまたそのようになれるのではないか、とも述べました。しかし、一方である程度のラッコ猟は許可されるべきであるとも主張しています。
「自然と調和を保たなければなりません。」彼は太平洋におけるラッコの代理として述べました。その生態系には、もちろん、人間も含まれるのだということを強調しました。
海洋生態系学者でありサロモン博士と共同研究している博士課程の学生、ジェン・バートはグループディスカッションをまとめ、このように述べました。ラッコの復活を願っている人は多いが、そのような人々もラッコに貝やカニなどを食べつくされるのは困ると考えている、と。
「唯一の打開策は、ある程度ラッコ猟を許可することです。」バートは先住民のリーダーと研究者たちの間で共有された考え方について報告しました。「ラッコの群れ全部を殺す必要はありません。ただ、ラッコがここに来ると撃たれると学習できる程度までは、そうして見せないといけないかもしれません。」
しかし、そのようにラッコの数を調節するのは議論の的になるだろうとも警告しています。「世間の耳目を集めれば、動物に対して残酷だという理由でそうするのが難しくなります。簡単なことではありません。」
ハイダ族の議会の元議長だったグージョウは、会議の参加者に対し、一般の人々は先住民がラッコ猟をすることに対しては理解を示してくれるだろうが、そのためには理由をちゃんと説明する必要がある、と述べました。
「もし『根絶する』とか『殺す』とか『コントロールする』などという言葉を使えば、人々はそれを嫌がり、すぐに一度失われてしまえば二度と得ることができないラッコたちを救おうとするでしょう。我々は、生態系の自然の一部としてみなされるようになりました。そうでなければ、どこかへたどり着く前に足止めされてしまうことになります。」
彼は、毛皮貿易が始まる前は、西海岸の先住民たちは何千年もラッコと共存しつつ、海の環境は豊かだった、と参加者に言いました。
「10,000年後もそのようにありたいと思っています」
元記事:
The Globe and Mail
The remarkable comeback of sea otters to the B.C. coast
by MARK HUME Jul. 18 2014
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