カースティン・ワッソンは2000年からエルクホーン湿地帯の研究者だったが、イービーやスコールズと出会うまで、ラッコは湿地帯に属している生物だとは思ってもみなかった。
「研究を始めた時、『こんながラッコにすごく興味を持っているなんて信じられない。ラッコは湿地帯の動物でもないのに』なんて言っていました」とワッソンは言う。
ラッコがエルクホーン湿地帯に見られるようになって数十年になる。そして約20年前、モントレーベイ水族館が保護したラッコをここへ放すようになって以来、ラッコの数は増加している。しかし、ワッソンはラッコの多くが湿地帯に住んでいるとは思っていなかった。
「私が研究を始めた当時の一般的なパラダイムは『これは異常なことで、このラッコは水族館でリハビリを受けたラッコなのだ』というものでした」
そして2008年か2009年、スコールズは一つの発見をした。それが、ワッソンのラッコと河口域に対する考えをひっくり返すことになった。
モロベイ州立公園へ行く途中、スコールズは1冊の絶版本を発見した。アデル・オグデン著、「カリフォルニアのラッコ猟 1784年~1848年」これが歴史に光をもたらし、保護区のスタッフに衝撃を与えた。
「サンフランシスコ湾にはラッコが多く生息する」とオグデンは書いている。「ラッコは湾の中を泳ぎ回っているだけでなく、多くの河口域にも頻繁に現れ、浜に上がることすらあった」
1800年代、現在のサンフランシスコ湾はスペイン人が管理していたが、スペイン人はロシア人のラッコハンターやロシア人が雇ったアレウト先住民を湾には入れさせなかった。
そのため、解決策が講じられた。アレウト人は今日のゴールデンゲートブリッジ近くの岬の北に上陸し、カヤックを担いで丘を越え、サンフランシスコ湾にやってきた。そのようにして、アレウト人らは数千頭のラッコを僅か数年で狩りつくしてしまった。
スコールズとイービーにとって、その意味は明らかだった。自分たちが見たのは決して異常なことではなく、ラッコが河口域に生息するというのは歴史的に標準的なものだったのだ。
「その時でした。私たちが、何か特別なものに関わっていると考え始めたのは」とイービーは言う。
敷居を作るプロジェクトに先んじてイービーとスコールズが湿地帯上流でラッコの観察を始めた時、ラッコが湿地で快適に暮らし、むしろその環境を好んでいるという確証を得た。
それがワッソンの関心をそそった。
「二人は、ラッコに何か特別なことが起こっていることに気が付いていました「とワッソンは言う。「ラッコは誰も見たことがない方法で潮の満ち引きのある水路を使っていたのです」
間もなくワッソンは刺激を受けた。
2012年に行われた地元のラッコ研究者の会議で、ワッソンはイービーとスコールズの観測から得られた結果をスライドショーにして発表した。それには湿地帯上流の水路をラッコがどのように利用しているかも含まれていた。また、ワッソンは2人が提示した仮説を発表した。多くのラッコが1年を通じて湿地帯に暮らしているだけではなく、湿地帯に住むラッコは海に住むラッコに比べて採餌行動にかかる時間が短い。また湿地帯に住むラッコはエサをとるのに深く潜る必要がないため、余分なエネルギーを消費することもなく、その結果健康であるという仮説だ。(この仮説は正しいことが分かった)
この会議に、サンタクルーズを拠点にするアメリカ地質調査所の生物学者であり、カリフォルニア大学サンタクルーズ校の教授でもあるティム・ティンカーが参加していた。ティンカーは何十年もラッコの研究を行っており、カリフォルニアにおける連邦のラッコ研究のプロジェクトリーダーでもある。
「ラッコが潮の満ち引きのある水路を利用しているという彼らの発見は、私には非常にエキサイティングでした」とティンカーは言う。
この発見はティンカーや他の研究者らに影響を与え、2013年からエルクホーン湿地帯ラッコプロジェクトと呼ばれる研究をスタートさせる引き金になった。研究者らは湿地帯で26頭のラッコを捕獲し、無線装置を取り付け、見て判別できるよう色のついたタグをつけた。
しかし、ラッコにタグと無線装置を取り付けたあと、研究者らには誰か3年間毎日出かけていってデータを集めてくれる人が必要になった。
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