【記事】ラッコ501号を救え!(2)| Saving Otter 501-part2

モントレーベイ水族館のラッコ保護プログラムに密着した"Saving Otter 501"の書き起こしパート2です。
501号の新しい挑戦が始まりました。

パート1はこちら

今回は本編の8:40のところから18:40くらいのところまでの書き起こしです。

代理母プログラムのはじまり

モントレーベイ水族館が親を失ったラッコのケアを始めたのは1984年でした。

当時、ラッコをどのようにリハビリさせたらよいのか誰も分からなかったので、スタッフたちは最良と思われる方法を考えました。

 

メイヤー「私がラッコ保護に関わりだした当時、ラッコたちのそばから離れませんでした。夜は、ラッコたちと一緒に、水槽のホールアウト(陸地になっているところ)で寝ていました。」

 

ダイバーが子どものラッコと一緒に海で泳ぎ、遊んだり、毛づくろいしたり、餌を与えたりしました。あらゆる点において、母親ラッコと同じように振舞おうとしました。

 

メイヤー「ラッコたちはスタッフと非常に強い絆で結ばれたため、スタッフがトイレに行こうとそばを離れると、その間じゅうラッコが泣き叫ぶほどでした。しかし、そのように粉骨砕身しても、結局分かったのは、絆が強くなりすぎると、ラッコを野生に還す時には上手くいかないということでした。」

 

このように人間の手で育てられたラッコのうち自然に返された後最初の1年を生き延びることができたのは、8頭に1頭だけでした。

 

しかし、あるラッコのおかげで、そのような状況が大きく変わったのです。

 

2001年、水族館は1頭のメスの成獣を保護しました。

数か月後に、そのラッコが出産しましたが、死産でした。

その翌日、浜に打ち上げられていた雄の赤ちゃんラッコが保護されました。スタッフは、その赤ちゃんラッコ(217号)をその雌ラッコに会わせてみました。会わせたらどうなるか、とりあえず見てみようということになったのです。

驚いたことに、その雌ラッコは赤ちゃんラッコを我が子のごとく受け入れ、育てたのです。

これが、保護下にある代理母に育てられた最初の赤ちゃんラッコとなりました。そして、いままでの保護プログラムを根底から変えることになったのです。

 

その母親代わりのラッコは「トゥーラ」と名付けられました。

トゥーラは、ラッコの歴史に名を刻む一員となるでしょう。

トゥーラの例を手本にして、モントレーベイ水族館は他の代理母ラッコを採用し、成功しました。ここ10年ほどで46匹の赤ちゃんを育てあげたのです。

代理母に育てられたラッコたちは、人が育てたラッコたちとは違い、自然に適応する能力も準備もできていました。3頭に2頭が、自然に還されてから最初の1年を生き延びることができました。以前と比べて5倍になりました。

501号の挑戦

(c)PBS
(c)PBS

しかし、顔を見せることはできなくなりました。目を合わせることもしません。海で一緒に泳ぐこともしません。スタッフは人間の形を隠すため、ローテクなポンチョと、溶接用のマスクを着用します。

 

ハザン「私たちがこのような黒い変装をするのは、ラッコが人間に懐かないようにするため、そして人間とラッコの間に、『壁』を作るためです。私たちも、ラッコに愛着を持ち過ぎないよう、気を付けることが大切です。でも愛着を持たないようにするのは非常に難しいですね。あれこれ世話をしてあげていますから。」

 

この日の朝、メイヤーは新参のラッコに哺乳瓶での授乳を始めます。

 

メイヤー「この時点で、501号は診察が終わっています。頭がよく警戒心があり、反応がいいです。健康状態はいいようです。」

 

メイヤーは、この501号を代理母プログラムに託したいと考えています。501号は、自然へ帰る第一歩を踏み出すのです。産まれたばかりなため、501号はしばらく集中治療室に隔離されることになります。501号にはラッコ用の粉ミルクを飲ませ始めました。このミルクの配合は、ここで開発されました。ほとんど母乳を飲んでいないため、501号の免疫力は非常に低くなっています。保護された赤ちゃんラッコにとって、非常に危険な時期なのです。

 

メイヤー「容体を安定させる段階が始まったばかりです。あと数週間のうちに、何かが起こる可能性もあります。」

 

最良の場合であっても、501号にとっては長い道のりです。

固形の餌が食べられるようになり、自力で泳いだり歩いたりできるようになったら、新しい母親に引き合わせられることになります。

そこからが、本当の仕事です。

 

ラッコは、生きていくために必要なことを母親の真似をしながら学びます。

レッスン1。食べ物。

ラッコは、生きるために大量の餌を食べなければなりません。腹ペコのラッコにとって、限界などほぼないに等しいのです。効率のいい餌は、簡単には食べられません。例えば、貝です。したがって、ラッコたちは、餌を食べるために賢い方法を発達させました。このように複雑なスキルは、501号にとっては、はるか先にあるものです。

 

しかし、501号は前進し始めます。

粉ミルクを与えて4週間たち、501号は最初の関門に挑戦する準備ができました。

固形の餌です。

 

一つの習慣として、固形の餌をやるときには貝殻をぶつける音を聞かせます。

 

メイヤー「赤ちゃんラッコに固形の餌をやる時に貝がらをたたく音を聞かせる大きな理由は、本来、野生の母親ラッコのやることの真似なのです。今の時点で、501号は非常によくやっています。とてもスムーズに進んでいます。」

 

しかし、リハビリに入って28日たった今でも、注意して見守らなければなりません。誰の助けもなければ、1日2日を生き延びることもできないでしょう。

 

メイヤー「最初に生まれたときは、全く泳ぐこともできません。基本的には水に浮かんでいるコルクのようなものです。したがって、母親がいないとなると、私たちはこの子どものラッコたちのために非常に大きな役割を担わなければなりません。」

母から子へ

子どもは、水に浮きやすい毛のおかげで、溺れることはほとんどありません。しかし、自然の中では単にぷかぷか浮いていることもできないので、母親は餌を獲りに行く際子どもを海草で包んでおくことがしばしばあります。

 

母親は、お腹に子どもを載せてどこへでも連れていきます。

口にくわえて外海のほうまで引っ張っていくこともあります。

しかし、より守られたところを棲家にするほうを好むラッコもいます。

モントレーの北、30キロほどのところに、全長11㎞ほどのエルクホーン・スルーという潮の満ち引きのある湿地帯があります。

水の流れが穏やかで、餌の豊富なエルクホーン・スルーは、有数なラッコの繁殖地です。

ラッコ・ウォッチングで有名なところでもあります。

しかし、このようなところであっても、母親たちは生きていくために必死です。

 

この母ラッコは、45分もの間ぶっ通しで流れに逆らい、湿地帯の外へと子供を連れて泳いでいます。

子どもを連れてこのような往来の激しいところに来るのは、貴重なエネルギーを無駄にしているようにも思えます。

 

しかし、この賢い母親には、考えがあるのです。

この母親は毎日ここへ来て、子どもを船のステップに載せます。自分が餌を獲っている間、子どもを安全にしておくため、このステップをベビーサークル替わりに使うのです。これは、ラッコが持っている知恵の一つの例です。この母親は、非常に人間に近いやりかたを見つけました。

子どものラッコは母親の一挙手一投足を模倣します。したがって、この子どもが同じスキルを得る可能性も考えられます。

★お願い
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