【記事】ラッコの保護の歴史を切り開いた獣医師 | Monterey veterinarian leaves legacy of otter care

本日は2017年2月7日付のMonterey Herald ENVIRONMENTから、"Monterey veterinarian leaves legacy of otter care"をお届けします。
モントレーベイ水族館ができる前、座礁した子供のラッコをカリフォルニアの一人の獣医師が育てていました。ラッコの保護の歴史を切り開いたそのウィリアムス博士は、人々に大きな希望を残し、1月26日に亡くなりました。

トーマス・ウィリアムス博士はモントレーベイ水族館の最初の獣医師になる前、自宅の浴槽でラッコの赤ちゃんを保護し育てていた。Courtesy photo
トーマス・ウィリアムス博士はモントレーベイ水族館の最初の獣医師になる前、自宅の浴槽でラッコの赤ちゃんを保護し育てていた。Courtesy photo

モントレー>>モントレーベイ水族館のエグゼクティブ・ディレクター、ジュリー・パッカードが初めてトーマス・ウィリアムス博士に会ったとき、博士はラッコの子どもを保護し自分のバスタブで育てていた。博士は子どものラッコが生きていくために必要な、栄養のある母親の母乳に替わるミルクを混合していた。

 

「当時、そのようなラッコを飼育する水族館はありませんでした」パッカーは言う。ラッコはきれいな水の中でグルーミングをする必要があるからだ。

 

モントレーの獣医師ウイリアムス博士は最終的には水族館のラッコ展示のオープニングとその運営の総合的な部分を担うことになり、ラッコたちに獣医学的なケアを行ってきた。博士は1月26日、75歳で亡くなった。

 

「博士がどれほど貢献してくださったか思い起こすと、本当に素晴らしかったと思います。多くの点で先駆者であり、ロールモデルでした」とパッカードは言い、水族館のオープンや初期の発展を進めた博士の役割に触れた。「博士は一緒に仕事をしたいと誰もが思うような人でした」

 

水族館や動物園で今日ラッコがいることも生きていくことができるという点で博士が重要な人物に挙げられるのも、すねてはウィリアムス博士が水族館で保護されたラッコたちの面倒をみてきたからだ。博士はまた、海洋移動に関する具体的な詳細を記録するタグをマグロに設置する外科的な技術も開発した。これはマグロ研究保全センターで行われた草分け的な仕事だ。ウィリアムス博士はこうした全てのことを、自らが開設したアグアヒート動物病院での診察の仕事をしつつやり遂げていたのだ。

 

「私達は博士と関係を構築しましたが、水族館の初めの開発期において実に重要な貢献者でした」とパッカードは言う。ウィリアムス博士は契約ベースの仕事だった。「初めての人たちにとって、ラッコを保護したり親のないラッコたちのケアをしたことがある人というのはほとんどいませんでした」

 

水族館のコミュニケーションディレクター、ケン・ピーターソンは、当時ラッコが浜で座礁していても誰もどうやって助けたらよいのか分からなかったという。

 

「しかし、博士は水族館の設立が決められる前から家のバスタブでそれを行っていたのです」とピーターソンは言う。

 

最後にピーターソンは、ウィリアムス博士は一般の水族館における動物ケアチームの獣医学的なサービスを発展させるのに貢献したと語った。

 

「それが今日の水族館のあり方になったのです」

 

ウィリアムス博士はまた、犬と馬をこよなく愛した。水族館からは完全に離れないものの、展示動物中心の役割から研究中心の役割に変えていった。世界的な保護研究プログラムは、1989年のエクソン・バルディース原油流出事件後、原油に汚染されたラッコのための獣医ケア施設を設置する際にも役立った。

 

1990年代なかばには、マグロの海洋移動を記録する努力の一環としてマグロの体内に小型のコンピュータ装置を外科的に埋め込む技術を開発した。

 

海洋生物学者でスタンフォード大学の教授であるバーバラ・ブロックはマグロ研究保全センターで博士とコラボレーションしていたが、こうした技術はマグロが海洋をどのように利用するのかということに関連することを発展させたと語った。

 

「診療所だろうとこの研究所だろうと、博士は連絡を取ってきた人全ての教育者となりました」とブロックは言う。「博士は直感的で、優しく、心の温かい獣医師でした。驚くほどの知識を持ち、話しやすい人でした」

 

ピーターソンはまた、ウィリアムス博士がモントレーロータリークラブとともにモントレー半島の学校の音楽教育拡大プログラムに貢献したことについて触れ、こうした優しさは博士が獣医学で達成してきたことと同様に記憶に残るだろうと語った。

 

「大きく明るい眼差しとにこやかな笑顔、力強い握手ー博士は、このように心温かく優しい人でした」とピーターソンは言う。「本当に素晴らしい人でした」

 

ピーターソンは特に、病気になった飼い犬を連れ主治医でもあるウィリアムス博士を訪ねた時のことを覚えている。

 

「飼い犬のうちの1頭が死にかけていたのですが、博士は家から出てきて、一人の獣医として動物と同じようにその飼い主も気にかけていました」

 

ブロックが同意する。

 

「博士は犬だけでなく、人間の担当医でもありました」とブラックは言う。「飼い主にも動物にも癒していたという点で素晴らしい人でした」

 

博士が亡くなってから、多くの患者が妻のジェーン・ウィリアムスにお悔やみを伝えた。

 

「主人を30年ペットの主治医としてきた患者さんたちが、主人の治療を受けるようになったいきさつや、主人が動物だけでなく人も癒してくれたから、帰りは安心できたと涙ながらに話してくれました」とウィリアムス夫人は語った。

 

「主人は誠実で、ひょうきんで、ただただ愛おしい人でした」と夫人は言う。「動物たちに尽くしてきたことで、このように人々の心に刻みこまれるというのは本当に素晴らしいことだと思います」

Monterey Herald ENVIRONMENT

Monterey veterinarian leaves legacy of otter care

POSTED: 02/07/17