本日は2016年10月15日付のLe Télégrammeから、"Océanopolis.Émoi après la mort de deux loutres"をお届けします。残念なことにオセアノポリ水族館へ移った3頭のラッコのうち2頭が亡くなりました。
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ブレストのオセアノポリ水族館に到着した3頭のラッコのうち2頭が間もなく死に、水族館と人々に悲しみをもたらしている。検死の結果はまだ不明だが、オセアノポリ水族館のアシスタント・キュレーター、ドミニク・バルテルミーがこの「痛ましい」出来事を報告した。
1.このラッコたちはどこから来たのか
3頭のオスのラッコ、ケスク、アトカ、プキクはアラスカ州スワードにあるシーライフセンターからやってきた。「このラッコたちはみな生後1~2か月で浜で座礁していたところを保護されたものです」子どものラッコは通常8か月ほどになるまで母親と過ごす。母親がいなければ、最初の1か月を生きることもできない。シーライフセンターは、ラッコたちが自立する前に野生に返すことができなかった。「シーライフセンターで十分なほど過ごしてきたラッコは、生後6か月から8か月で野生に戻すと、人に慣れすぎているため危険なのです」とドミニク・バルテルミーは言う。シーライフセンターでは保護していたラッコを全て継続して飼育することができないため、代替案はシンプルなものだった。幼いラッコたちの飼育を諦め、リハビリが終了後ラッコたちに他の水族館へ移譲することだった。
2.輸送方法
ラッコはワシントン条約で保護されており、アラスカラッコが米国外へ輸送されたのは3年ほど前からだ。オセアノポリ水族館は、ラッコの受け入れを許可されたヨーロッパで2つ目の施設にあたる。「ラッコはこれまで私たちが受け入れた動物の中で最も難しい動物です。180平方メートルの特別水槽、オペレーションルームを作り、アラスカシーライフセンターの専門家が2週間に1度ここへ来て施設とプロトコル全般のチェックを行い、そしてゴーサインが出ました」とドミニク・バルテルミーは言う。
ラッコたちの旅は1万3000キロに及び、このオペレーションのために特別に作られたケージに入れ、2人のトレーナーとアメリカ人獣医師に伴われ、トラックと飛行機により24時間以内に行われた。ラッコたちは6月15日に健康な状態で到着したが、プロトコルは全てアメリカの当局により認可され適合していたにも関わらず、1週間後にケスクが、夏のはじめにアトカが亡くなった。
3.死因
「最初のラッコは低体温症でした。その時アメリカの野生生物専門の獣医師がいましたが、どうすることもできませんでした」検死によると、呼吸に問題があったようだった。2頭目のラッコは体重が減り続け、死に至った。「ラッコは非常に弱い動物なので、輸送がラッコにストレスを与えることは分かっています。恐らく、ラッコたちは、生きるためい不可欠な体毛のメンテナンスがあまりできていなかったのでしょう」唯一はっきりしているのは、死因が感染症ではないということだ。3頭目のプキクは元気にしている。しかし、監視やサポートを強化し、獣医師を常駐させ、体制を強化している。
4.新たなラッコはくるのか
「ラッコは社会的な動物なので、飼育下で1頭で過ごせる時間は限られています。他のラッコを受け入れることができなければ、プキクはコペンハーゲンの水族館にいる2頭のラッコたちの仲間に入ることになるでしょう」とドミニク・バルテルミーは言う。アメリカ当局からお墨付きをもらっているオセアノポリ水族館にとって、それは望ましいことではない。「2頭、他のラッコを受け入れるつもりでいますが、その前に、米国側とも協議し、輸送プロセスについて改善を心密つもりです。特に、輸送時間を7~8時間短縮できないかを。そのためには、特別チャーター機が必要となりますが、追加費用もかかってしまうことになります」将来的に飼育下のラッコを米国外へ移送するための決断がされるかもしれない。
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