本日は、2015年3月23日付、R.J.Dunlap Marine Conservation Programから
"Threats to Sea Otters"をお届けします。
ラッコの生息数は回復傾向にはありますが、いまだに様々な危機に直面しています。取り返しがつかなくなる前に、私たちがしなければならないことは何でしょうか。
ラッコは可愛らしく抱きしめたくなるような容姿で、非常にカリスマ性のある動物です。しかし、ラッコは様々な理由で非常に興味深い生き物でもあります。一つは、ラッコは他の海洋哺乳類のように脂肪層を持てないということです。これを補うため、ラッコは動物の中でも最も密度の高い体毛を持ち、その数は1平方インチ当たり100万本、全部で80億本にもなります(それに比べて人間の頭髪は全部で10万本しかありません)(Cohn
1998)。ラッコはまた、道具を使う唯一の海洋動物として知られています。仰向けになって浮かび、腹の上に石を置いてムラサキガイや二枚貝などを石にぶつけて開けます。ラッコは体重の4分の1の餌を食べますが、代謝が高いため食べた餌はすぐに熱エネルギーに変換されます。ラッコの繁殖は遅く、2年に1頭の割合で子どもを産みます(Waldichuk
1990)。また、ラッコは海に適応した最後の海洋哺乳類であり、海洋哺乳類の中では2番目に小さいものです (Cohn 1998)。ラッコはほとんどの時間を海で過ごします。実際、寝る時には潮に流されてしまわないよう、ケルプに包まります(Waldichuk 1990)。
ところが、可愛らしくカリスマ性のあるこの動物は大きな悲劇に見舞われてきました。北アメリカのラッコは、1742年にロシアから来たヴィトゥス・ベーリングがベーリング海で難破した際、初めて発見されました(Waldichuk 1990)。当時、ラッコの生息圏は日本、カムチャツカ半島、コマンドルスキー諸島、アリューシャン列島、アラスカ、北アメリカ西海岸からバハカリフォルニアにかけてでした。難破した人々は最初ラッコを食用にしていましたが、間もなく毛皮が非常に価値のあるものであることに気が付きました。ロシアに戻ると、世界中の人々がラッコの毛皮を求めてアメリカ西海岸への道を切り開こうとしました(Cohn 1998)。18世紀と19世紀にかけてラッコ猟が行われ、約40万頭のラッコが当時殺されてしまったと推定されています。1900年代までには、カリフォルニアには数十頭、その他の地域にも僅かのラッコが残されるのみとなりました(Lafferty and Tinker 2014)。1911年、カナダ、ロシア、日本そしてアメリカが膃肭臍(おっとせい)保護条約に調印し、ラッコを含む動物の狩猟を禁止したため絶滅の危機から逃れることができましたが、その時点で野生のラッコは1,000~2,000頭しか残されていませんでした(Waldichuk 1990)。更に、ラッコは絶滅に絶滅の危機に瀕する種の保存に関する法律で“threatened”(絶滅の恐れがある)と規定され、海洋哺乳動物保護法では"depleted"(枯渇している)と規定されています。カリフォルニア州では、"fully protected
mammal"(完全保護対象の哺乳類)です。ラッコはまた、ロシアの法律によっても保護されています(Cohn 1998)。
回復のプロセスに於いて、ラッコは数の多い地域からいなくなってしまった地域へと移殖されました。過去20年間に、アラスカやアリューシャン列島では生息数が15万頭程度、ロシアと日本北部に17,000~18,000頭、カナダのブリティッシュコロンビアに1,000頭、カリフォルニアに2,000頭、ワシントンに500頭に増えました(Cohn 1998)。ラッコはすでに危機を脱したとうに思えますが、それは事実ではありません。ラッコが毛皮目的で乱獲されることはなくても、他の脅威は存在するのです。その一つに、ラッコは原油流出に対し非常に脆弱であるということがあります。ラッコは体毛のグルーミングに非常に多くの時間を費やすため、油が付着すると飲み込んでしまう可能性が非常に高いのです。アラスカのプリンス・ウィリアム湾でエクソン・バルディーズ号原油流出事故が起こった際、4200万リットルの原油が流れだし、少なくとも450頭のラッコが死に追いやられました。グルーミングの際に原油を飲み込んでしまい、肝臓がだめになってしまったラッコもたくさんいました。また、体毛は非常に油に弱く、通常は乾いているアンダーファーが保温機能を失い、ラッコは肺炎で死んでしまいます。カリフォルニアでは大規模な原油流出は起こっていませんが、万が一のため、かつてラッコが豊かに暮らしていた南カリフォルニアへラッコを移植することを望む保護活動家たちも数多くいます(Waldichuk 1990)。しかし、南カリフォルニアへの生息域拡大は散発的なものでした。ラッコは当面は沿岸部に留まることを望んでいますし、数が多いカリフォルニア中央部のラッコも、食料や棲家の限界に達しています。もし南カリフォルニアで中央部と同じくらいの生息数を保持できるなら、ラッコの生息数は16,000頭に増えるとされています。つまり生息域の拡大は、今後生息数を更に回復させるための鍵なのです。ラッコの生息域の拡大を進める一方で漁業関係者との軋轢を最小限にするために、アメリカ魚類野生生物局は「ラッコ不在海域」管理区域をコンセプション岬の南部(カリフォルニア中央部と南部の境目)に設置しました。何年もの間、この管理区域で発見されたラッコはカリフォルニア中央部へ移動させられました。1998年、コンセプション岬の南部で93頭のオスのラッコの群れが目撃されましたが、移殖するには数が多過ぎました。そのころから、ラッコの移動が目撃されるようになりました。冬から春の間、オスのラッコは食糧を求めて南へ移動し、メスのラッコが子どもを自立されて発情期に入るようになった頃、再び中央部に戻ってくるのです。こうした、生息域の端に生きる縄張りを持たないオスたちは、以前住んでいた場所で食糧をめぐる競争の激化に対し、より豊富な餌を求めて近隣の新しい場所に移っていきます。新しい場所に5年から10年住むと、そこにメスラッコや子どもたちが合流してきます。この点で、オスの群れが雌雄混合の群れになるまでには人口統計学的な遷移があるのです。オスラッコたちはその後縄張りをつくり、縄張りを持たないオスラッコたちはまた移動を余儀なくされ、このサイクルが繰り返されます。このサイクルが生息域の拡大を非常にゆっくりと、断続的なものにしているのです。2012年12月、アメリカ魚類野生生物局はラッコの移殖プログラムは失敗だったため終了させることを決定し、「ラッコ不在海域」管理区域を取りやめることにしました(Lafferty and Tinker 2014)。このような南部への生息域拡大が続けば、カリフォルニア中央部に集中するよりも生息域が広いほうが、万が一原油流出が起きたとしてもより回復できる可能性は高まるでしょう。
ラッコが南カリフォルニアへ拡大することは正しい方向へ一歩進んでいるように思えますが、一方で、カリフォルニアのラッコの増加率は年5%と、ワシントン州のラッコの増加率が15~20%であることと比較すると遅れをとっています。この増加率の低さは、カリフォルニアのラッコの子どもの死亡率が他の地域に比べて非常に高い(40%)こととと関係があるようです。オスのラッコは海岸からより離れたところで休んだり餌を獲ったりするため刺し網((水中に垂直に張る漁網)に遭遇する可能性が高く、網にかかって死んでしまうものも多かったのですが、幸運にも刺し網は禁止されました。自然の脅威は、特に北部ではサメやホホジロザメによる捕食があります。また若いラッコや子供のラッコを襲う寄生虫も脅威です。この寄生虫は通常海鳥に寄生しているものです。ラッコの死体を250体検死した獣医病理学者によると、40%のラッコはこの感染症でなくなっていました。ラッコはまたコクシジオイデス症(通常、乾燥地帯に住む人間に見られる菌類病)にも感染しやすいのです。この病気は大気中の粉じんにより海へ至ると言われています(Cohn
1998)。その他にも、ラッコを死に至らしめる病気に、トキソプラズマ原虫と呼ばれるものがあります。この単細胞原生動物は病原体であり原虫性農園を引き起こします。これは死に至る脳内感染で、前足の震えや筋力の低下を引き起こします。それにより餌を獲るための潜水や、グルーミングができなくなってしまいます(健康はラッコは1日の3分の1をグルーミングに費やします)。トキソプラズマ原虫は、猫由来のもので、猫の排泄物にその原生動物の卵が入っています。卵は18か月も生き延びることができ、雨により海へ流れ込みます。2003年時点で、カリフォルニア沿岸に打ち上げられて死んでいたラッコ1,000頭のうち62%のラッコが原生虫の感染による死亡でした(McLaughlin
2003)。
たまたまキーストーン種であるラッコに、このような様々な脅威が存在します。キーストーン種は生態系が機能するうえで、必要不可欠な働きをする動植物を指します。キーストーン種がいなければ、生態系は劇的に変わってしまうか、もしくはまとめて消滅してしまいます。ラッコは、ケルプがある沿岸海域を好んで生息しています。そこにはラッコの主要な餌であるウニがいます。ウニがケルプを食べ過ぎてしまうと、ケルプの森がなくなってしまいます。しかし、ラッコがいればウニの数を低いレベルに保つことができるため、ウニによるケルプの食べ過ぎを防ぐことができるのです(William
1988)。エクソン・バルディーズ号原油流出事故の後のある研究で、ラッコがほとんどいなかった場所には100平方メートル当たりウニが1.52個いたのに対し、原油に汚染されておらずラッコが豊富にいた場所では100平方メートルあたりのウニの数は0.17個でした。こうしたウニの数が多い場所ではウニの過食によりケルプの森が駆逐されてしまっていました。実際、北アメリカのケルプはラッコとともに進化してきたと考える科学者もいます。オーストラリアの海に住むケルプはウニを寄せ付けないために毒素を生成しますが、北アメリカのラッコはラッコがいてくれるため、そのような化学的な防御が必要ないため毒素を生成する必要がないのです。ラッコが必要なのは、無数の魚・貝・甲殻類・ウニ・海洋哺乳類や鳥たちに餌や棲家を提供しているケルプの森のような環境を変えていく手助けをしているからです(Cohn
1998)。ラッコを死に追いやっている病気などの研究や原油流出に備えて回復計画をたてておくなど、ラッコ保護に対する研究をより深めていくことが重要です。もし私たちが再びラッコを絶滅に追いやりたくないのなら、この2つは間違いなく近い将来ラッコが直面する大きな脅威だからです。
参考文献:
Jeffrey, P Cohn. “Understanding Sea Otters.” BioScience 48.3 (1998): 151-155.
Lafferty, Kevin D and Tim M Tinker. “Sea otters are recolonizing southern California in fits and starts.” Ecosphere 5.5 (2014): 1-11.
McLaughlin, Sabrina. “The Otter Limits.” Current Science 88.14 (2003): 4-5.
Waldichuk, M. “Sea Otters and Oil Pollution.” Marine Pollution Bulletin 21.1 (1990): 10-15.
William, Booth. “The Otter-Urchin-Kelp Scenario.” Science 241.4862 (1988): 157.
記事元:
R.J.Dunlap Marine Conservation Program
by Daniela Escontrela, RJD intern
Posted on March 23, 2015 by rjd
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