今回は、かつてカリフォルニアに存在した「No Otter Zone」(ラッコ排除海域)についての15分ほどの短編映像の書き起こしです。ラッコと漁業業界はどのように共存していくことができるのでしょうか。
アメリカ漁業野生生物局 リリアン・カーズウェル:
多くの人は、政府がラッコを別の場所に移すことに参画していたということを知れば驚くでしょうね。ですから、人々にその問題の経過やその問題に対して現在持っている感情を知ってもらうのは大切なことだと思います。
ウニ漁を行う漁業関係者は競争を懸念しています。ラッコは、ウニのような底生性無脊椎動物の密度を、商業漁業ができないレベルの密度まで減らしてしまうからです。ラッコは沿岸生態系にとっては重要な動物であり、カリフォルニアの未来に残すべき環境遺産の一部でもあり、この水域に戻ってくるべき動物です。
タイトル:NO OTTER ZONE
[カリフォルニア沿岸委員会の公聴会の様子]
カリフォルニア沿岸委員会(California Coastal Commission)の議長:
公聴会を開催します。リリアン・カーズウェルさんをお呼びしました。
アメリカ漁業野生生物局 リリアン・カーズウェル:
議長、委員会の皆様、スタッフの皆様、おはようございます。リリアン・カーズウェルと申します。アメリカ漁業野生生物局のカリフォルニアラッコ回復コーディネーターです。
アメリカ漁業野生生物局 リリアン・カーズウェル:
漁業関係者の中にはラッコと共存できない人たちもいると思います。ラッコの個体数を増やすためには、もっと生息する場所が必要です。より多くの場所と、食料資源が必要なのです。生息域を広げるためには、それは不可欠のように思えます。
海洋生物学者 リック・ローゼンタール:
ラッコは、かつてはアラスカからアリューシャン列島、カムチャツカ半島にかけて、それから南はバハ・カリフォルニアの中央部までにかけて生息していました。ラッコは1850年代、ゴールドラッシュの時期、最も高価な商品だったのです。
当時はゴールドラッシュで、カリフォルニアもそうでした。ロシア人はアレウト人漁師たちを引き連れてやってきましたが、スペイン人はそれほどではありませんでした。歴史的に、相当の勢いでラッコ猟が行われたため、ほとんどの生息域からラッコは消えてしまいました。
ラッコの個体数は過去最低となり、ラッコは絶滅したと思う人もいました。しかし、ビッグサー付近に小さな群れが隠れて猟を逃れ、その付近にラッコの群れがいると囁かれていました。その群れは、少しづつ数を増やしていきました。はっきりとはわかりませんが、群れは100足らずだったようです。
アメリカ漁業野生生物局 リリアン・カーズウェル:
1982年、魚類野生生物局が作成した最初のカリフォルニアラッコ回復計画は、優先的な回復行動としてラッコの移殖を推進していました。「No Otter Zone(ラッコ排除海域)」はコンセプション岬からメキシコ国境にかけて、永久にラッコを排除することになった水域でした。
オッタープロジェクト創始者 スティーブ・シメック:
当局は、新しい生息地を作ろうとしましたが、うまくいきませんでした。「No Otter Zone(ラッコ排除海域)」を作ってラッコを追い出す代わりに、ラッコをチャネル諸島へ移したのです。
アメリカ漁業野生生物局 リリアン・カーズウェル:
4年間で、140頭のラッコたちがサンニコラス島へ移されました。ほぼすぐに、ほとんどのラッコはいなくなってしまいましたが、私たちはラッコをその島へ移しつづけました。管理水域(※ラッコ排除海域のこと)に戻ってしまったラッコもいましたが、またそのラッコを連れ戻さなければなりませんでした。その頃には、ラッコに対して特定の場所に居なさいと言うこと自体、現実的なアイデアではないということが明らかになってきました。
そこで私たちは、このプログラム全体が達成不可能であり、プログラムを再評価し、規則にのっとって定められた誤った基準を評価するため、正式な行動を起こす必要があると決断しました。全てが誤りであり、このプログラムを終了させるべきであるかどうかを決定するためです。
カリフォルニア ウニ委員会 マイケル・ハリントン:
管理水域が失われるということは、私にとっては恐怖でした。ウニは全滅してしまうでしょう。それは、もうほぼ手におえないことであり、信じられないほどの政治的な力が働いた結果なのです。
管理水域がなくなることは、夥しいロビー活動があったということを意味します。環境団体は、我々に出ていけと言っているも同然です。私が海にいることは望ましくない、と言うのです。ラッコと食料資源を争っているという理由で。
彼らにとっては、私はラッコを脅かす存在なのです。私が船に乗っているからです。漁に出て、船でラッコに近づきすぎるという理由で、ラッコを脅かしていると。管理水域をなくすということは、基本的に、私が、今まで過ごしてきた太平洋における権利を、ラッコに与えるということなのです。
オッタープロジェクト創始者 スティーブ・シメック:
漁業関係者は、ある意味非常に道理にかなった主張をしています。彼らが漁業を始めた時にはラッコはいなかったのです。漁業を確立した時は、アワビも、ウニも、漁業も全てうまくいっていたからです。
しかし、ラッコが戻ってきて、彼らが獲っていたウニなどを食べるようになりました。ラッコはウニなどを大量に食べます。そして最終的には、百年のうちには、それら漁業関係者を追いやってしまうでしょう。それが、彼らが怒っている理由なのです。
カリフォルニア ウニ委員会 マイケル・ハリントン:
ラッコが私たちの資源を食べつくしてしまうから、怒っているのです。ラッコは管理しなければなりません。何らかの方法で、取り除くか、もしくはコントロールする必要があります。
オッタープロジェクト創始者 スティーブ・シメック:
ラッコの数は3,000頭弱です。大規模な高校の生徒数よりも少ないのです。つまり、多くはないということです。私にとっては、答えは非常にシンプルです。私たちは、ラッコとともに生きる方法を見出さなければならないということです。
残念ながら、私が言っていることは、つまり、50年から100年のうちには、漁業関係者の中には消されてしまう人たちがいるということであり、ラッコに取って替わられてしまうだろうということであり、そうした漁業関係者は、ウニなどではなく何か別の、漁の対象になるものを見つけなければならないということになります。
カリフォルニア商業アワビ漁ダイバー スティーブ・リバック:
ラッコに以前の生息域に戻ってきて欲しいと思っている人たちは、まあ、いいでしょう。私たちがグリズリーベア(アメリカに住む凶暴なクマ)に、あなたの家の近所に戻ってきて欲しいと願ったしたら、どう思いますか?少しよく考えてみてください。
私が初めてラッコを見たのは、たぶん1957年頃だったと思います。当時は、ラッコがどんな動物なのか知りませんでした。別に問題ないように思えたのです。ただ、その辺で泳いでいるだけの動物だと。しかし、潜水を始めて海の底で起こっていることを目の当りにした時、私たちダイバーに不安を感じさせたのです。
海洋生物学者 リック・ローゼンタール:
1971年、私がアラスカ南西部に移殖されたラッコの調査に行った際、アワビやカニ、二枚貝やその類、それからフジツボなどについては相当の数が存在していました。しかし10年後戻って撮影すると、その時には海の底を歩いてみてアワビ一つ、ウニ一つ見つけることが難しい状態になっていました。
カリフォルニア商業アワビ漁ダイバー スティーブ・リバック:
わたしたちがこの惨状を見たのは1998年です。コンセプション岬のすぐ南のコホ・アンカレッジに100頭ほどのラッコが移動してきました。そこはラッコ排除海域の中で、その100頭のラッコたちは1998年、年間200万ドルほどの売り上げを見込んでいた漁業をだめにしてしまいました。漁業関係者が駆逐されるまでほんの3か月ほどでした。
まだアワビも残っています。ロブスターも、ウニもある程度はあります。しかし、それで経済的にやっていけるほどのレベルではありません。漁は終わってしまったのです。
アメリカ漁業野生生物局 リリアン・カーズウェル:
そのコホのパイプラインのビデオが…私にはわかりません。それが信頼できるものなのかわかりません。分かっているのは、それが、明らかに何か説得力のあるもののように意図的に作られているということです。使われているライティングも違うのが分かるでしょう。つまり、そのアワビをラッコが食べたのだろう、と言いたいわけです。
これから起こる変化というのは漸進的なもので、今日起こっていることと同じです。ですから、人々には色々調整する時間が必要になります。たくさんのラッコが私たちが最終的な支配に屈するのを待ち、直ちにやってきて侵略しようとしているわけではありません。全ては非常にゆっくりとしたプロセスなのです。
カリフォルニア商業アワビ漁ダイバー スティーブ・リバック:
コホでは、それが3か月の間に起こりました。ということは、それは、コンセプション岬の南やサンタバーバラや、その他の港で起こりうることのモデルとも言えます。
カリフォルニア ウニ委員会 マイケル・ハリントン:
それは、資源が無くなってしまうようなことを見たかどうかという問題ではありません。政治団体に、私の運命をコントロールすることを許しているということなのです。そうしたことに非常に憤りを感じます。私を追い出そうとしているのです。私は保険を売りたいと思わないから、漁をするのです。生活の糧を得るのに、素直に心に従っているだけなのです。
突然、最近になって、私よりずっと高度な教育を受けてきた人々と会って時間を過ごすようになりました。私には自分たちより低い椅子をすすめ、テーブルを挟み、何時間も私を座らせるのです。そうした時間を過ごすのも私にはお金はかかるのです。彼らはその場にいても給料が支払われるから、会議をして同じことを何度も話すのが好きなのでしょう。非常にしんどいことです。
オッタープロジェクト創始者 スティーブ・シメック:
一部で、自然でない漁の仕方があるということは忘れてはいけません。つまり、自然な状況とはどのようなものか。それは、ラッコの存在を含む状況です。最初にいたのはラッコのほうです。ラッコが最初です。今日、ラッコは戻って来たいと思っている。ラッコは、絶滅に瀕する種のリストから外れ、元の生息域を取り戻すために必死でもがいています。どうしてそれが許されないのでしょう?
カリフォルニア ウニ委員会 マイケル・ハリントン:
ラッコには、コンセプション岬からカリフォルニアの一番北まで、行こうと思えば行ける場所があります。私たちは、漁のできる場所が少しあればいいのです。さほど大きな要求だとは思いません。
アメリカ漁業野生生物局 リリアン・カーズウェル:
このケースにおいては、両者のバランスをとるというよりは、何がしかの選択をするということになると思います。ある漁業を保護するために生息域の拡大を制限するべきでしょうか。あるいはラッコをかつての生息域に戻ってくるのを許し、その後に起こる変化を受け入れるべきでしょうか。
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