1993年にアラスカから来日したポテトは、翌94年に鳥羽水族館にやってきます。
2004年に娘のメイ(鳥羽水族館で飼育)を産み、今年4月に入ってからはグルーミングが十分できないなどかなり衰弱していたようです。ラッコにとってグルーミングがちゃんとできないということは、体温の保持ができないため致命的なのです。
2014年4月20日現在、日本の水族館にいるラッコは18頭となりました。
1994年には122頭いたということですから、20年で1/5以下になってしまったということになります。2011年のJAZA(日本動物園水族館協会)の試算では、2000年に88頭いたラッコは2030年には10頭になるとのことでしたが、実際は試算よりずっと早いペースで減っているように思われます。
新たなラッコが入ってこないこと、国内のラッコたちが高齢化していること、繁殖が難しいことなどが、数が激減してしまった主な理由のようです。
日本に最初にラッコが輸入されたのは1983年、伊豆・三津シーパラダイスが初めて飼育と繁殖を成功させました。続いて鳥羽水族館でも飼育され、ラッコは一大ブームとなりました。
しかし90年代からアメリカが保護のため輸出を禁止しました。日本へラッコが入ってきたのは、2003年にロシアから来た2頭が最後ですので、もう10年以上前のことになります。
日本国内のラッコ飼育施設の間では繁殖用のラッコの貸し借りなどを通じて繁殖に力を入れています。しかし海外から輸入されてきたラッコたちはすでにみな高齢となり、日本産まれのラッコたちも生まれて間もなく死んでしまったり母親が育児放棄?をしてしまうことが多く、なかなか成体まで成長することは難しいようです。
JAZAが希少動物の精子・卵子を冷凍保存し、種の保存や人工授精等に役立てるというニュースもありました。野生での数が激減しているという理由で、人間の保護下でしか生きられないという、選択することすらできない動物たちというのは、他に方法がないとはいえ、何か違和感を感じずにはいられません。
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