【記事】ラッコの回復 | The Rebound of the Sea Otter

本日は2017年4月12日付のAlaska Magazineから、"The Rebound of the Sea Otter"をお届けします。アラスカにおけるラッコの回復は様々な軋轢を生みだしていますが、解決策を探すことは、かつてラッコを一掃してしまった人間が負っている責任でもあります。

(2015年4月号より)

時代の波に翻弄されるアラスカ南東部のラッコ

アラスカ南東部トリンギット族とハイダ族の人々の伝説にナチレーンという若い戦士がおり、彼は部族の首長になる運命を担っていた。ナチレーンの兄弟らはそれを妬み、彼を退けようと陰謀を企んだ。兄弟らは釣りをしようとナチレーンを海へおびき出し、船から突き落とし、そのまま船で逃げてしまった。

 

しかし、首長となるべくナチレーンは深く青い海で独りぼっちではなかった。ラッコがナチレーンを島へ連れて行ってくれたため、助かったのだ。ラッコはその青年の世話をし、一番よい猟場や漁場を見せてあげた。しかしラッコは海の生活に戻らなければならなかったので、ナチレーンに最後の贈り物として一袋の種を渡し、それを島じゅうに蒔くように言った。ナチレーンはその言葉に従い、その種は高い木に育った。ナチレーンはその木から船を作り、村へ戻り、首長になった。その伝説によると、今日まで人間とラッコの生活は深くかかわっているのだという。

失われたバランス

関わりはあるけれどもバランスはとれていないのです、とデニス・ニカーソンは言う。ニカーソンは1938年に連邦により認定されたアラスカの部族カサーンの村の環境プランナーだ。カサーンの村はケチカンの30マイル(約48km)南西にあるプリンス・オブ・ウェールズ島の東側に位置している。

 

ゴールドラッシュのように、人間とラッコの関係は大きな波に翻弄されてきたのです、とニカーソンは言う。

 

ラッコの個体数と漁業への影響を追跡するため、アラスカ大学フェアバンクス校の生物学者ジニー・エカートとアメリカ内務省のヴェレナ・ジルとそのほかの科学者らは協同してアラスカ・シー・グラントの援助によるアラスカン南東部ラッコプロジェクトを行っている。

シベリアから来た"宝探し"たち

エカートによると、1700年代初めの世界のラッコの個体数は15万~30万頭であったと想定されている。その後ロシア人の探検家らがやってきて、後に毛皮貿易商となった。ほとんどの海洋哺乳類とは異なり、ラッコは皮下脂肪でなく厚い毛皮で体温を保持している。ロシア人探検家にとって、ラッコの毛皮は甘い誘惑だった。

 

「シベリアからやってきた宝探しの一行は、メキシコやペルーを征服したスペイン人征服者らよりも多くの富を収穫していった」とハロルド・マクラッケンは初期のラッコ猟探検に関する1957年の著書「Hunters of the Stormy Sea(嵐の海の猟師たち)」で述べている。「ラッコの毛皮は世界中で最も価値があった。その結果、北の海のこれら黄金の毛皮は、皆殺しに遭ってしまった」

 

その後150年に渡る広範囲の乱獲により、ラッコは絶滅に瀕してしまった。1911年膃肭臍保護条約(おっとせいほごじょうやく)で保護されるまでには、13のコロニーに約2,000頭弱残るだけとなってしまった。

ラッコの再導入

「長い間、ラッコは絶滅したと考えられていた」とマクラッケンは書いている。1800年代終わりの科学者ヘンリー・エリオットはラッコのいる国を探し回った。1887年の報告では、エリオットは生きているラッコを1頭も見つけることができなかったと書いている。

 

1911年の条約締結後、ラッコは回復し始めた。しかしアラスカ南東にはラッコは生き残っていなかった。「アメリカで最も興味深い生物の一つであるラッコの正しいリハビリを可能にするために、より正しい方策がとられる必要があった。ラッコは人間に多くのものを与えてきたのに、人間はその貪欲さからラッコを絶滅の淵に追いやってしまったからだ」とマクラッケンは述べている。

「インサイド・パッセージ沿いの湾ではどこでもラッコを見ることができます」とマカーシーは言う。「以前ラッコがいなかった場所の多くで、現在100頭ほどまでのラッコを見ることができます」

それに応えるように、1965年から1969年にかけて412頭のラッコがアムチトカ島やプリンス・ウィリアム湾からアラスカ南東部に移植された。1972年、ラッコはアメリカの海洋哺乳類保護法により更なる保護を勝ち得た。今日、この地域のラッコの個体数は25,712頭と健全な数であると推定されている。しかし、それでもこの数は毛皮貿易以前よりも少ないと思われる、とエカートは言う。

現在直面している脅威

 25,712頭のラッコたちは何を食べているのだろうか。

 

ナマコは、他の商業的に重要な生物の中でも、ラッコのごちそうだということをアラスカ大学フェアバンクス校のショーン・ローソンが発見した。

 

「ラッコや他の生物は漁業においては存続していけません」と南アラスカ地域潜水漁協会(SARDFA)のエグゼクティブディレクター、フィル・ドハーティは意義を唱える。SARDFAの会員らはナマコ、ミル貝その他下干潮帯種を収穫している。「ラッコの個体数の増加に歯止めがかからなければ、漁業当事者の中には必然的に商売から離れなければならないものも出てくるでしょう」

 

しかし、エカートは言う。「これらの商業漁業を支えてきた魚介類の量は変動的なものであって、豊かであったのもラッコがかつて毛皮貿易により消滅させられてしまったからです。現在ラッコは、毛皮貿易前の数に戻りつつあります」

 

アラスカ大学フェアバンクス校の生物学者ザック・ホイトによると、ラッコが初めてこのエリアに入ってきた時、商業的に重要な魚介類は、実際はラッコが食べる量の多くをまかなうことになる。しかし、15年以上ラッコが生息し続けると、商業の対象となる種はラッコが食べる全体量の10%に満たなくなる。「ラッコがしばらく生息するようになると、ラッコのエサの対象は数種類の生物から、多様な種へと変化します」とエカートは言う。「それには、商業の対象とはならないカニやエビ、イカナゴの仲間などの小型魚類なども含まれます」ラッコはウニの個体数を調整するが、それがなければケルプの森は消滅し、生態系全体をだめにしてしまう。

バランス点を見つける

M.V.すくみ・カスタム・アラスカ・クルーズのオーナー、ジュノーに住むキーガン・マカーシーのような南東部のアラスカ市民はラッコからより多くの利益を得ている。野生生物ウォッチングの機会増加やエコツーリズムのブームだ。

 

インサイド・パッセージ沿いの湾ではどこでもラッコを見ることができま」とマカーシーは言う。「以前ラッコがいなかった場所の多くで、現在100頭ほどまでのラッコを見ることができます。ケルプに包まって、私たちが船やカヤックで通り過ぎるのを見ています。お客様も非常に気に入ってくださっています」

 

しかし、マカーシーは漁業関係者がその生業から押し出されてしまうかもしれないと懸念している。マカーシーは、どこかで妥協点を見出さなければならないと言う。

 

「ラッコと人間はお互いに、邪魔しあうことがあります」とニカーソンは言う。「それでも、ラッコも人もみな海から日々の糧を得る権利があります。人間は協力して、地域から国までの様々なレベルで解決策をみつけなければなりません」

 

私たちはラッコに対して、そして、私たち自身に対しても責任がある。ナチレーンならそういうだろう。

Alaska Magazine

The Rebound of the Sea Otter

April 12, 2017