【記事】エルクホーン湿地帯のラッコの養子たち | Sea Otter Adoptees Born in Elkhorn Slough

本年もらっこちゃんねるをよろしくお願いいたします。
今年最初の記事は、2017年1月1日付のBay Natureから"Sea Otter Adoptees Born in Elkhorn Slough"をお届けします。年の初めからラッコに関する記事が見つかって嬉しいです。
※引用元とは一部異なる写真を引用しています。

ラッコの母親は非常に子どもの世話をよくすることで知られている。このメスはお昼寝中の赤ちゃんをおなかに乗せている。

モントレーベイ近く、エルクホーン湿地帯にて。

モスランディングの干潮時、現れた干潟からの硫黄のようなにおいが潮っぽい空気に加わる。鵜、カモメ、ペリカンや海辺の鳥は静かなエルクホーン湿地帯の水上を進む私たちのボートは気にかけていない。エルクホーン湿地帯は、、農場を通り東に向かう河口域だ。私の左側では、ラッコが仰向けに背中を丸め、スパゲッティの切れ端のような赤いユムシをもぐもぐ食べている。前には十数頭のラッコたちが潮に流されないよう、リボンのようなアマモに体を絡め、仰向けに浮かんでいる。

 

サンタクルーズとモントレーのほぼ中間にあるこの湿地帯は、ラッコの新興都市だ。100頭以上のこの小さい海洋哺乳類(カワウソの仲間でやや大きい)が、7マイルにわたる塩性湿地と浅い水で暮らしている。カリフォルニアラッコのほとんどが住んでいる太平洋沿岸と比較すると、この河口域の環境は一般市民や研究者らにラッコをより間近に観察するチャンスを与えてくれている。

 

数十年前この湿地帯を利用していたのは20頭に満たないオスラッコたちだったと、私の乗ったボートを操縦するロン・イービーは言う。イービーは海軍を退職し、ここでラッコを観察し科学者らのためにボランティアとしてデータを集めている。そうしたオスラッコたちは、1900年代初めにカリフォルニアラッコがほとんど猟師に殺されてしまった時にビッグサーで生き残ったコロニーの子孫で、そこからはるばる北上してきたとイービーは説明する。

全盛期には、カリフォルニアラッコは16,000頭あまりで、アラスカ南部からバハ・カリフォルニアまで生息していた。1911年の膃肭臍保護条約、連邦法、そして1970年代に制定された海洋哺乳類保護法は毛皮貿易から生息数を回復させることを目的としていた。それが成功したといえるようになったのは、ごく最近のことだ。アメリカ地質調査所の研究者らは毎年ラッコの個体数を数え、その数の正式な指数として3年平均値を利用している。2016年の3年平均値は3,272で、これは初めて絶滅危惧種のリストから外すためのしきい値である3,090を超えた。しかしリストから外れるには、ラッコの個体数は3年連続でそのしきい値を超えなければならない。

 

「これは、よいニュースであるとも言えますし、そうでないとも言えます」とアメリカ地質調査所の生物学者で年次個体数調査を率いているティム・ティンカーは言う。「全体的な個体数は増えていますが、生息域が広がっているわけではありません。その生息域の端、北はデイブンポートとハーフムーンベイの間、南はピスモビーチからコンセプション岬までが、拡大のエンジンともいえます。これらのエンジンが失速しており、懸念する理由となっているのです」

 

15年前、湿地帯のラッコの個体数拡大は問題に直面していた。メスラッコがいなければ、個体数拡大のチャンスはほとんどない。その頃、モントレーベイ水族館のSORAC(ラッコ保護プログラム)はモントレーの沿岸で座礁していた妊娠中の若いメスで発作に苦しんでいるラッコを受け入れていた。そのトゥーラというラッコの発作は寄生虫によるもので、日々薬を投与することで管理することができたが、生まれた子どもは死産で、トゥーラは神経の病気のため野生に返すことができなかった。母性が育っていたトゥーラは、217号と呼ばれた親のいない生後2週間の子どものラッコと離れた水槽で一緒に過ごし、トゥーラは子どもを自分の子どもとして受け入れた。その子どもは、エルクホーン湿地帯に放されてから元気に暮らし、10年以上生きていた。

トゥーラの代理母が始まったと同時に、水族館の別のメスのラッコだったジョイも、自らは妊娠の経験も授乳もしていなかったが、子どものラッコ(209号)を受け入れた。こうして最初の養子縁組が成功し、人間の飼育員に頼るしかないよりは、代理「母」ラッコたちに親のない赤ちゃんラッコを育ててもらうという新しい方法の基礎を築いたのです、と水族館のラッコプログラムの動物ケアコーディネーター、カール・メイヤーは言う。

 

代理母であっても、赤ちゃんラッコを育てあげるのは大変な仕事だ。野生ではメスラッコは少なくとも6か月間子育てをし、その間子どもを常に視界に入れている。水族館では、赤ちゃんラッコが固形のエサを食べるとうになるまで、スタッフらがほぼ24時間体制で世話をする。ケアをするスタッフは黒いマントとフェイスマスクをつけ、子どものラッコが人間に慣れないようにする。生後8週間ごろまでには、子どものラッコの幼毛(メイヤー曰く、水に浮きやすいので赤ちゃんラッコがコルクのように浮く)が生え変わり、ラッコの「母親」と会う準備ができる。それからは、代理母ラッコが引き継ぎ、子どものラッコにエサを見つけたりグルーミングをしたりその他ラッコとして生きるすべを教え、生後7か月ごろ準備が整うと湿地帯へ放される。

 

2001年、トゥーラが最初に子どもを養子にしてから、40頭のラッコたちが無事野生に帰った。代理母ラッコに育てられたラッコたちの生存率や繁殖率は、カリフォルニア中央部の野生のラッコやエルクホーン湿地帯のラッコのものと同じだ。少なくとも、8頭のメスのラッコたちが生き伸び、子どもを産んだとメイヤーは言う。しかし、驚くべきことに、代理母ラッコに育てられたラッコとその子孫らが、現在湿地帯に生息するラッコたちの半分以上を占めるということが分かった。

 

メスのラッコはすでにこの沿岸の南北に生息しているため、代理母プログラムななくても最終的にはこの湿地帯へ行きつき、この湿地帯における生息数の成長は起こりえたかもしれない。しかし、そのためにどのくらい時間がかかったかは分かりません、と水族館のプログラムがどの程度貢献しているかのモデルを作ったティンカーは言う。「明らかなのは、この成長は代理母プログラムによって大きく前進したということです」

 

メイヤーによると、さらに重要なのは、「今、私たちには親のいないラッコの赤ちゃんを育て野生に返す信頼のおける方法があります。もしこの方法が他の場所でも利用可能であれば、保全における非常に価値あるツールとなるでしょう」

 

エルクホーン湿地帯でラッコの個体数が増加するにつれ、研究者らはラッコについてより多くのことを発見した。イービーと彼のラッコ観察仲間である元法執行官ロバート・スコールズ率いるボランティアチームのおかげでもある。彼らのような市民科学者による観察は実に役立ちます、とエルクホーン湿地帯保護区の研究コーディネーター、ケルスティン・ワッソンは言う。「何時間も現場にいて、その場所やパターンを知っている人のおかげで、私たちを取り巻く生息地の見方が変わりました」

 

ある研究では、予備調査の結果では湿地帯は実に140頭のラッコが住んでいるとでたが、これはラッコは沿岸海域に住んでおり河口域には立ち寄っているだけだというそれまで広く考えられていたことと矛盾していた。それに、なぜラッコは河口域から出て行ってしまうのだろうか。冷たい海から断熱する脂肪層がないため、ラッコは体温保持のために密な体毛に依存し、体重の25%に相当するカロリーを摂取しなければならない。湿地帯ではエサは豊富で見つけるのも簡単だ。エサが見つけやすければ、沿岸に住んでいるラッコたちほど頑張らなくても、体をよりよい状態で維持することができる。

 

また、ラッコが湿地帯にとって良い効果をもたらしていることも分かった。農場の傍にあるため、排水には肥料が多く含まれており、湿地帯でアオコが発生しやすくなってしまう。アオコは海草から光を奪い、致命的となる。カリフォルニア大学サンタクルーズ校の研究員ブレント・ヒューズの研究によると、ラッコたちはこの影響のカスケードを相殺し、より健全な生態系へと導く。この多重構造の「栄養カスケード」において、ラッコが増えてより多くのカニを食べるようになれば、藻類を食べる生物がより多く生きられるようになり、そのためアマモの表面がきれいになり、アマモが繁茂するようになる。

 

しかしこの水の豊かなエデンの庭ですら、限界がある。ラッコたちはこの湿地帯では環境収容力の限界に近づきつつあり、どこか別の場所で個体数を増やしていかなければならない。通常、まず新しい生息地に住み着くのはオスのラッコで、メスがその後を追ってやってくる。しかし、そうしたプロセスは非常に遅い。

 

ラッコの生息域拡大を阻んでいるのは何なのだろうか。生物学者のティム・ティンカーはホホジロザメだと言う。

 

ラッコが直面している致命的な問題はサメだけではない。ラッコはまた、伝染病や寄生虫、海産物に含まれる毒でも死んでいる。しかし、特に生息域南端のエステロ湾(モロ湾の北)からコンセプション岬にかけてにおいては、ティンカー率いる研究によると、座礁していたラッコの50%以上にホホジロザメによる致命傷がみられた。サメの噛みつきが8倍になる場所では、ラッコの死亡率が出生率を上回っているため、その地域における個体数は減少し生息域の拡大が頭打ちになっている。

 

エルクホーン湿地帯でのサクセスストーリーを聞き、他の湿地帯でカリフォルニアラッコが何をしてくれるだろうと思う人もいる。おそらく、かつて多くのラッコが生息していたサンフランしこ湾の塩性湿地を再構築してくれるだろう。そういう考えにイービーの顔が明るくなった。「サンフランシスコ湾にもラッコが戻ってきたら、素晴らしいことだと思いませんか?」

Bay Nature

Sea Otter Adoptees Born in Elkhorn Slough

by Elizabeth Devitt on January 01, 2017