【記事】ラッコは地球を救う | How sea otters help save the planet

本日は2016年7月10日付The Guardianより、"How sea otters help save the planet "をお届けします。ラッコが生態系に及ぼす影響は、私たち人間が想像するよりずっと大きなものです。自然は絶妙なバランスで成り立っています。ラッコがあるべき姿、あるべき場所にあるべき数で自然な形で生息できるようサポートすることが、私たち人間の役割ではないでしょうか。

複雑な食物網の関連性についての最近の研究によると、この愛すべきラッコは二酸化炭素のレベルを調節する重要な役割を担っていることが示されている。

ラッコは旺盛な食欲でウニを食べる。また動物の中でもっとも密度の高い体毛を持つ。Photograph: Alamy
ラッコは旺盛な食欲でウニを食べる。また動物の中でもっとも密度の高い体毛を持つ。Photograph: Alamy

チャールズ・ダーウィンは、かつて捕食者が周囲の景観に与える影響について考えた。特に「種の起源」において、近所のネコがケントのドーンにある家の野原の花の繁茂状態に影響を与えるだろうかと考えている。動物がその地域の植物相に変化を起こす可能性はかなりあるのではないかと結論づけている。

 

ネコの数が相当であればその地域のネズミの数は少なくなり、ミツバチの数は増える。ネズミはミツバチの巣を破壊するからだ。またミツバチはクローバーの受粉をするため、このような種の個体数の変化は、結果的にネコが多い場所ではクローバーが増えることになるだろうと論じている。つまり、ネコがいるとクローバーが生えるのだ。

 

 その仮説はダーウィンの主要な後継者トーマス・ハクスリーの興味を引き、彼はネコ-クローバーのカスケードを拡大し、年老いた女中も加えた。女中らがネコを飼い、そのネコが近所からネズミの数を減らし、ハチが増えクローバーが繁茂する。

 

そしてその結果、大英帝国が栄えたのだとハクスリーは述べた。家畜がクローバーを食べる。家畜とはこの場合牛のことである。したがって、年老いた女中らはクローバーがたくさん生えるようにし、それが健康な家畜を育て、そのおかげで美味しいローストビーフを作ることができ、それを軍隊が食べて大英帝国の繁栄を支えたのだ。つまり、年老いた女中がいれば、軍隊が強くなるのだ。

「ラッコがいない島の周辺はウニの大きさも個体数も大きくなり、壊滅的な結果をもたらします」

ハクスリーが女中-大英帝国を関連づけたのは、ふざけた話であったことはほぼ間違いない。それでも、捕食者と被捕食者の相互関係として知られている栄養カスケードのコンセプトは、今日この地球の自然史を形作る強力で重要な力であると認められている。より的を得ているのは、人間の活動が野生生物により多くの影響を与えるようになるにつれ、栄養カスケードを変えてしまい、重大で予想外の結果をもたらすことになっている。


このように上層から下層へと自然を見ることは、それまでの下のレベルの生物の変化が上のレベルの捕食者にどのように影響を与えているかを理解しようとする態度とは対照的である。北極の海氷の減少が藻類(海氷の下に生息する)の減少をもたらし、それが藻類を食べる生物、例えばプランクトンや魚、アザラシ、食物網のその上の生物に影響を与える可能性があるという研究を行っている科学者により、そうしたアプローチの例が示されている。

 

トップダウンの力、つまり栄養カスケードは逆方向には問題があるように見えるが、アメリカの海洋生物学者ジェームス・エステスの研究により完璧な例が示された。エステスは北太平洋で45年に渡り野生生物の研究を行い、陸上や海の捕食者が、陸や海の環境を大きく変えるという驚くべき事実を明らかにした。トップダウンの関係、つまり、捕食者が植物の健全性に関与しているという事実が、このほど出版された著書「Serendipity: An Ecologist’s Quest to Understand Nature」(偶然の発見~ある生態学者による自然理解への探検~)(University of California Press)に興味深く描かれている。

 

エステスはその研究生活の多くを北太平洋のアラスカからロシア東部のカムチャツカ沿岸に至るアリューシャン列島で過ごしてきた。「アリューシャン列島ほど、この現代において自然で辺鄙な場所は他にないでしょう」とエステスは言う。

 

しかしこうした隔離された場所であっても、人間の有害な影響から逃れることはできなかった。200年前、探検家らが北へ向かい、数十万頭暮らしていたラッコの毛皮を求めて猟師をアリューシャン列島の奥地まで送り込んだ。イタチ科のラッコ(Enhydra lutris) は動物かいで最も密度が高い(1平方インチ当たり85万から100万本)の体毛があり、体温を保つ。寒冷な海で断熱の役割を果たしているのだ。

ラッコがケルプの間に浮かんでいる。ラッコはウニの数をコントロールし、ケルプの森が繁栄する手助けをしている。Photograph: Frans Lanting/Getty Images
ラッコがケルプの間に浮かんでいる。ラッコはウニの数をコントロールし、ケルプの森が繁栄する手助けをしている。Photograph: Frans Lanting/Getty Images

しかし、ラッコの厚く豊かな毛皮は漁師の大きな的となり、1900年代までには絶滅に瀕してしまった。「わずか十数頭かそこらの群れが生き残りました」とエステスは語った。遂には国際的にラッコ猟は禁止され、根絶から免れることができた。

 

それ以来、ラッコは国際的な行動のおかげで絶滅から救われた愛嬌があり抱きしめたくなるような海洋動物として、環境保護運動にとって重要な代表的生物となった。とあるコメンテーターが言ったように、ラッコは海のテディ・ベアだ。仰向けになって浮かび、ウニやカニ、アワビなどを平たい石で開けて食べる様子を見ると、ラッコは確かに人をひきつけるものがある。

 

しかし、このように常にエサを食べている裏には、深刻な問題がある。ラッコの成獣は生きていくために毎日非常に多くのエサ、体重の4分の1程度で約11kgを消費するため、そうした魚介類を多く食べる。

 

エステスが1970年代にアリューシャン列島で海洋研究を始めた頃、単純に疑問に思うことがあった。ラッコは貪欲にウニやカニなどを食べるが、19世紀にラッコの個体数が激減した結果、生態系はどのようになったのだろうか。その答えを求めて、エステスはラッコが生き残った島々とラッコが消滅しまだ回復していない別の島々の海底の調査を始めた。

 

エステスが見つけたのは驚くべきものだった。ラッコのいない島々の周辺には、ラッコの主食になるウニが大きくなり数も増え壊滅的な結果をもたらしていた。かつては豊かに生い茂っていたケルプの森が消滅してしまった。そのかわりウニが見渡す限りのケルプを食い尽くし、海底を砂漠化してしまっていた。

 

それとは対照的にラッコが生き残った島々やラッコが再導入された島々の周辺ではケルプが繁茂していた。その発見は、海中にあるケルプの森が魚や他の海洋生物に糧を与えているという重要な事実だった。「ケルプの森はバイオマスが高く、非常に生産性が高いため、沿岸生態系をコントロールする重要な要素となっています」とエステスは言う。

 

エステスが見たところはどこも同じような光景だった。ラッコがいる島には健全なケルプの森があり、ラッコのいない島はケルプのない、ウニだらけの荒れた海底だった。ラッコを根絶させてしまったことで、人間は重要な栄養カスケードを崩壊させてしまったのだ。ラッコの個体数が多ければ、ウニの個体数は減り、それは健全なケルプの森ができることを意味する。エステスはこう述べた。「ラッコは単なる『生態系を支える歯車の1つ』以上の存在であることは明らかです」

ラッコはトゲの多いウニの殻を開けるのに石を使う。Photograph: Noel Hendrickson/Getty Images
ラッコはトゲの多いウニの殻を開けるのに石を使う。Photograph: Noel Hendrickson/Getty Images

実際、ラッコは今ではキーストーン種とみなされており、食物網においてラッコはその地域の生態系の健全性を保つうえで重要なポジションにいある。エステスの調査が明らかにしたように、ケルプの森の健全性を確固たるものにするだけでなく、そこに住む多くの生物に影響を及ぼしている。例えばケルプの森では魚が繁殖し、ムラサキガイなども繁殖する。

 

しかし、最も重要なのは、ラッコの行動により豊かになったこうしたケルプの森が地球全体の環境の健全性を保つのに重要な役割を果たしているということだ。大気中同様、海水中の二酸化炭素のレベルも上昇しており、海水中にもより多くの二酸化炭素が吸収されている。その結果、海水がより酸性化し多くの生物にとって害を及ぼす。しかし、健全なケルプの森は何十億キログラムもの二酸化炭素を吸収することができるとエステスは試算している。

 

「この結果は目を見張るようなものでした」とエステスは述べている。「ラッコがいる世界とラッコのいない世界において、1年間でケルプが光合成により吸収する大気中の二酸化炭素の量の差は130億キログラム対430億キログラムでした」

 

エステスが観察していた海洋生物の一つ一つはある意味感動的だ。「沿岸域においてはどんな生物も、多かれ少なかれラッコによる生態系の影響を受けているのです」とエステスは言う。従って、帽子や手袋やコートを作るための毛皮目的で太平洋からラッコを乱獲してしまった結果、人間はラッコを絶滅の淵に追いやっただけでなく太平洋の海洋環境の大部分を相当な規模で崩壊させてしまい、地球で増加する二酸化炭素のレベルの影響に対処する力をも傷つけてしまったのだ。

 

幸いなことにラッコは間一髪で絶滅から救われた。少なくとも80年代、90年代はそのように思われた。その後エステスは2つ目の発見、不穏な発見をした。エステスがアリューシャン列島のアダック島とアムチトカ島に戻った時、それまでラッコは順調に増えておりそれまで島のケルプの森全般的に良い影響を与えていたが、その時になって個体数が減少していることを発見した。「何かが変わった、でもそれが何かはわかりませんでした」とエステスは言う。

 

エステスはアリューシャン列島の他の場所も観察し、アダック島のクラム・ラグーンのような場所ではラッコの個体数は健全な状態を保っていることがわかった。しかし、他の殆どの場所では個体数が減少を示していた。エステスの試算では数年のうちに約4万頭のラッコが消えてしまった。ラッコの個体数が減少するとともにウニが海底に再出現し、ケルプの森もまた消え初めた。

 

それにしてもラッコはどこへ消えてしまったのだろうか。何かの毒素や病気が原因だろうか。しかしそうは考えられなかった。ラッコが減少した場所はお互いに何千マイルも離れていたし、ラッコが全く減少していない場所もあったからだ。

 

その答えを最終的にもたらしてくれたのは、エステスの同僚の一人、ティム・ティンカーだった。ティンカーは長期研究のためタグを付けたラッコが、アダック島をシャチの群れが通り過ぎた後に行方不明になってしまったことに気が付いたのだ。ティンカーは、以前にもシャチが現れた場所でタグをつけたラッコがいなくなってしまったことがあったのを思い出した。その後更なる観察の結果、このようなことが分かった。シャチが突然ラッコを捕食するようになった。クラム・ラグーンのような守られた浅い湾のいくつかでのみラッコは新しい捕食者の注意から逃れることができたのだ。

 

とはいえ、1991年以前にはシャチがラッコを襲ったということは確認されていなかったため、その発見は謎めいていた。そこでエステスはその地域で関連する種の歴史を調べ、驚くべき実体を明らかにした。90年代にラッコの個体数が減少し始めたように、70年代80年代にはオットセイやアシカの個体数が急減していた。ラッコ、オットセイ、アシカ全てがシャチの標的となった。それは何故なのか。

 

その答えは第二次世界大戦後その地域で行われた商業捕鯨にあるのではないかとエステスは結論づけた。「捕鯨産業が起こる前は、シャチは北太平洋やベーリング海南部でかなりのクジラを捕食していました」とエステスは言う。商業捕鯨が中止になる頃には、シャチには捕食の対象となるクジラは実質残されていなかったため、まずはその対象をアザラシに、その後アシカ、ついにはラッコへと広げていったのである。少なくともこれはエステスの仮説であって、全ての研究者がこの説に同意しているわけではない。

 

そうはいっても、この説は興味深い。シャチが関わっていたということは、ラッコ-ウニ-ケルプという栄養カスケードの上に新しい頂点補捕食者が現れたということになり、このトップダウンの食物網は私たちに新たな自然への見方や、緻密で複雑に入り組んだ関係を示してくれるのだ。ナチュラリストのジョン・ムイルがこう述べたように。「何か一つのものを取り除こうとしても、世の中にあるものは全て繋がっているということに気づくのだ」

The Guardian ENVIRONMENT
How sea otters help save the planet

Sunday 10 July 2016 04.15 EDT