【記事】ラッコの楽園:ボランティアが変えるラッコ研究 (1) | OtterEden :How two volunteers changed our understanding of sea otters (1)

 本日から2016年3月31日付のMonterey County Nowから、"Otter Eden : How two volunteers changed our understanding of sea otters."を3回に分けてお届けします。生物学の学位のない一般のボランティアがラッコの研究に大きな足跡を残しました。こうしたボランティアがラッコの研究や保護活動を大きく支えているんですね。

2015年のアメリカ地質調査所のカリフォルニアラッコ個体数調査によるとその数は3,054頭。ここモスランディング・ハーバーにいるラッコも含まれる。連邦ラッコ復興計画によると、持続可能な個体数の最小限の数は8,400頭だという。c/o Elkhorn Slough Foundation
2015年のアメリカ地質調査所のカリフォルニアラッコ個体数調査によるとその数は3,054頭。ここモスランディング・ハーバーにいるラッコも含まれる。連邦ラッコ復興計画によると、持続可能な個体数の最小限の数は8,400頭だという。c/o Elkhorn Slough Foundation
それはヒントから始まった。
2006年後半、サンタクルーズ郡の保安官代理をリタイアしたロバート・スコールズは、モスランディングハーバー内のビーチにラッコの足跡があるのを見つけた。スコールズは調査することにした。
スコールズは、夜、ノースハーバーの西側の駐車場に出かけ、ラッコを邪魔しないよう、地面に横になり、アスファルトの端から覗いてみた。それを見た人がいたら、気味が悪いと思っただろう。
「車が通りすぎることがありましたが、こんなところに男がぶらさがっているとは」そうスコールズは笑って言った。「そういう車は引き返して行ってしまう。犯罪現場か何かに関わりたくないと思ったのでしょう」
その当時、スコールズはチーム・オーシャンのボランティアをしていた。チーム・オーシャンはモントレー湾国立海洋保護区のプログラムで、ボランティアらが保護区の様々な場所で、カヤックに乗り、他のカヤック乗りたちに野生生物についてや、野生生物と適切な距離を取る重要性について教育を行っている。2007年のチームの会議の際、スコールズは日の出前ラッコを探すのに誰か一緒にハーバーでカヤックに乗ってみないかと声をかけた。海軍士官を退役したロン・イービーが手を挙げた。
それ以来9年間、イービーとスコールズはエルクホーン湿地帯周辺のラッコを観察して約3,000時間になる。一人につき3,000時間だ。
その時間に到達するためには、フルタイムで働いている人が、18か月間、1日の休暇も取らずに働く必要があります。イービーはここ3年間で参加しなかったのは10日未満だと思うと語った。スコールズの車のナンバープレートは「カローラ上のナンバープレートは「IVLNTER」(私はボランティアです)と読める。(訳者注:カリフォルニアのナンバープレートは自分の好きな綴りにすることができます)
スコールズが発見したカギにより、ラッコは浜に上がることが分かったが、科学者たちは長い間ラッコにとって浜に上がるのは稀な行動だと考えていた。スコールズらが何時間も観察してきたラッコの行動に、科学者たちは驚いた。そして、数多くの画期的な発見を生み出してきた実験をインスパイアすることになった。その一つは、エルクホーン湿地帯に住むラッコ(それ自体普通ではないと考えられていた)は海に住むラッコよりも健康で、更に、湿地帯もラッコのおかげで健全だということだ。
それは、深い意味のある、調和のとれた関係だ。カリフォルニアラッコはカリフォルニア中央部の生息域を拡大させるのに苦心しているが、イービーとスコールズが集めたデータは、生息域が拡大する可能性や北アメリカ西海岸における最大の河口域の復元を手助けする可能性を示している。
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1月中旬の曇った朝、モス・ランディングのドーラン・ロードの駐車場に20名余りのボランティア希望者がエルクホーン湿地帯の端を北に向かって歩き始めた。
そのグループは草地を横断するトレイルを進み、いくつか水たまりを避けると、湿地帯に北、東、西を囲まれた丘、ヤンパ島をゆっくりと登り始めた。
そのグループの中にイービーとスコールズも参加していた。彼らは自分たちの役割について語り、彼らがボランティアの仕事を行っている丘の端にグループは立ち寄った。
エルクホーン湿地帯ナショナル・エスチュアリン・リサーチ保護区のカースティン・ワッソンは、遠くに見える湿地帯を横切る線路を指さし、説明を始めた。2010年、この保護区はついに、線路の横の水面下に「敷居」を建設する計画を開始した。それは、潮の満ち引きで出入りする水の勢いを低減し、湿地帯の土手の崩落を減らす壁のようなものだ。
しかし、その計画の許可を得るために保護区はその建設事業がカリフォルニアラッコに対し影響を与えないことを証明しなければならなかった。ラッコは海洋哺乳類保護法により、連邦法で邪魔する行為から守られているからだ。
観察を始めてから2年たった2009年、イービーとスコールズはその計画地で定期的にラッコの調査を始めた。建設が開始されると、ラッコが建設現場に近づきすぎた場合はホイッスルとフラッグで建設労働者に注意を促した。
「誰かがやらなければならない。そういう時、ボランティアなら安あがるんです」とスコールズはグループに告げた。
ヤンパ島から進捗状況を眺めていると、既存のパラダイムの表面に流れ込む別の現象を見ているということに気づき始める。科学者たちはラッコたちが海の生息地の生態系を好んでいると信じていたが、その海から何マイルも東にある湿地帯上流に多くのラッコが生息するというだけでなく、そうしたラッコの多くは湿地帯を離れることなく、そこで繁栄しているようだった。
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それから数か月後、イービーとスコールズは保護区のオフィスにあるコンピュータの前に座っていた。
モニターには湿地帯の様子をライブストリーミングで流している、湿地帯の「ラッコカメラ」の映像が映っていた。保護区からの許可を得、エルクホーン・スルー基金とフレンズ・オブ・ザ・シーオター(保護区とパートナーになっている2つの非営利団体)からの大きな援助を得て、2012年イービーはカメラの設置を手伝った。エルクホーン・スルー基金は2015年、高繊細カメラを追加した。
イービーがカメラの映像を遠隔操作で切り替え、椅子にもたれかかると、二人はどのように始めたのかその成り立ちを語りはじめた。
当初、二人は、月に2度モスランディングハーバーにだけ、いつも夜や早朝に出かけて行った。やがて二人はモスランディングに本拠地を置く研究中心の非営利団体オケアニスの科学者であるダニエラ・マルディーニと出会う。
「ダニエラは私たちを翼に抱えてくれたのです」とイービーは言う。「私たちが目撃したものに虜になったのです」
ヤンパ島でグループの者たちに語ったように、「科学者たちができないことは、ちょっと外へ出て観察をすることです。それこそ、私たちができること。出かけて、座っていることなんです」
「私たちは毎日新しいことを学べます」
マルディーニは二人に統計学的に有効なデータの集め方のトレーニングを行い、それから2年間、月に2度イービーとスコールズは、時には他のボランティアの手も借りながら12時間もしくは6時間ごとのシフトを組んで24時間の観察を行った。
「慣れてしまうと夜でもとびっくりするくらい目が見えるんですよ」とイービーは言う。
イービーとスコールズは30分ごとに潮位や気温、水温、水の中にいるラッコと浜に上がっているラッコの数を記録した。二人が観察を行う以前、科学者らはカリフォルニアラッコは時々浜にあがること(ホールアウトと言う)は知っていたが、その数は目を見張るものだった。「(以前は)私たちが見たのは移譲行動だといって却下されたのです」とイービーは言う。
彼らのデータを用い、マルディーニはイービーとスコールズとの共著として2012年に論文を発表した。その研究によるとラッコは1日の70%を陸に上がって過ごしていたことが観察されており、陸に上がっているのが見られたラッコの平均数は22頭だった。ある時には、イービーとスコールズは93頭目撃した。
「その論文は、そうした行動が珍しいことではなく、自然の一部なのだということを科学者らに確信させたのです」とイービーは言う。また、それは基礎生物学の学位を持たない二人のボランティアがキャリアのある科学者らに負けないことを示すことになった。
そして、その後更に需要なことが明らかになる。

Monterey County Now

Otter Eden : How two volunteers changed our understanding of sea otters.

David Schmalz March 31, 2016